目黄不動
  天台宗   永久寺
  
         えいきゅうじ
目黄不動尊
江戸の永久寺
江戸時代と同じ場所にある永久寺
永久寺
入り口は民家と同様に見える
不動堂
2003/02

天台宗永久寺は古くは真言宗で唯識院と号したが衰退し、道安により禅寺として再建され白岩寺とあらためた。だがまたも衰退したので月窓が修復して蓮台寺と改称、日蓮宗に転じた。月窓は四代将軍家綱の生母宝樹院の弟であったことから幕命によって日光門主本照院宮の弟子になって圭海と名乗り、蓮台寺を天台宗に改めた。いっぽう同寺の檀家で本所に住んでいた山野加右衛門永久は人を切ること一千人に及んだので、殺害した人々の亡霊を供養するために諸堂を建立し蓮台寺に寄進した。よって同寺は永久寺と称するようになったという。不動堂があり、三尺六寸の慈覚大師作と伝える出世不動明王像(目黄不動)が安置されている。江戸五色不動の一。境内は年貢地で、西側には門前町屋があった。