瀧泉寺の名を一躍広めたのが江戸五色不動の一つ目黒不動である。寛永6年にはすでに「目黒村不動尊」は所願を成就するとして、江戸中の老若男女が群集しており、その活況が確認され、江戸中ー後期になっても盛況は続き、化政期にピークに達した。門前の町並みも賑わいをみせ、境内には餅花や、栗餅・御福餅を売る店が軒を並べていたという(江戸砂子)。 文化9年(1812)には湯島天神と共に富籤興行が認可され、谷中感応寺を加え「江戸の三富」としても盛況を見せている(目黒区史)。 第2次大戦の戦災で建物の多くは焼失し、わずかに残った不動堂が都指定文化財。 日本歴史地名大系 東京都の地名 |
目黒川に支流羅漢寺川が流れ込む合流点、台地上の突端に位置する天台宗寺院。本尊は不動明王。古くから不動信仰の霊地として知られる。 寺伝によれば大同3年(808)天台座主慈覚大師円仁の開山とされ、師広智に従って比叡山へと向かう途中不動明王の夢告により建立したという。 貞観2年(860)清和天皇から勅額「泰叡」を与えられ、山号を泰叡山と称したという。元和元年(1615)近隣の出火により境内の堂舎の殆どを焼失するが、寛永元年(1624)将軍徳川家光の命により本堂等が修復され、新たに不動堂が創建された(徳川実記)。 |