目青不動は、明治15年観行寺の本尊が教学院に併合されたものである。もと港区麻布谷町(今井三谷町)にあった,また、谷町榎木坂ともいわれ 随縁山 教解院 観行寺 または 三谷山 源理院 正善寺 と称せられていた 永万元年(1165)源三位頼政の命により天台の僧義周が創建し、慈覚大師ご自作の不動明王を本尊としたのが目青不動明王である。 華厳経巻7賢首菩薩第8の2に説かれている青い色の雲が天上界と地上界の間にあり、この青い色にもとずいた不動尊であるから縁結びの不動ともいわれた。江戸五色不動は、江戸時代には五眼不動といわれ、五方角、東西南北中央を色で示すもので、将軍家光の時代に目黄を加えて五となったものである。方角を示すもので、目に色があるわけではない。 なお、教学院は明治15年に青山から現在地に移転。 教学院パンフより |