毘盧遮那、盧遮那、釈迦


蓮華蔵世界
  梵名ヴァイローチャナ、毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)とよばれる仏の像を造顕したものとして、日本人にとって忘れがたいのは、東大寺の大仏でしょう。高さ16メートルにも及ぶ大きな仏像ですから大仏とよんでいるのですが、その仏号は、毘盧遮那如来です。
この仏号は、「雑阿含経(ぞうあごんぎょう)」に「諸の闇冥(あんめい)を破壊(はえ)し、光明虚空を照らす。今、毘盧遮那清浄光明を顕す」とあるのが、初見とされているようで、太陽を毘盧遮那と名づけたといえましょう。太陽信仰の一つの表出です。
毘盧遮那如来を教主とするのが華厳教ですが、その経典「大方広仏華厳経」には、この仏が無量劫海に功徳を修して正覚をとり(成仏し)、蓮華蔵世界の教主となって、光明を放ち、その光明によって衆生を蓮華蔵世界に生まれさせようとする仏とされています。
(以下経典による蓮華蔵世界の説明略)


三仏の関係
  以上のように(蓮華蔵世界では)毘盧遮那、盧遮那、釈迦の三仏が出てきますが、この三仏の関係について、いくつかの見方があります。「華厳経」を依経(えきょう)とする華厳宗では(略)三仏は同一仏身の異称にすぎないとし、「華厳経」には「あるいは釈迦牟尼と称し、あるいは盧遮那と称す」「あるいは釈迦牟尼と名づけ、あるいは毘盧遮那と名づく」とあります。

盧遮那仏の造立 
 日本では、なんといいましても、東大寺の大仏とよばれる盧遮那仏像が有名です。740年(天平12年)聖武天皇は難波宮に行った折、河内国大県郡の知識寺に安置された盧遮那仏を礼拝して、この仏像を自ら造顕することを思い立ったようです。知識寺の知識とは、さまざまな仏事━たとえば仏像の造立など━に協力することやその協力をさし、そうした知識によって建立されたのが知識寺です。この知識寺の遺構は大阪府柏原市太平寺に現存しております。聖武は、盧遮那仏造立を発願したばかりではなく、こうした知識=協力者たちによる造立についても考えるところがあったのかもしれません。それから三年後の743年聖武は金銅盧遮那仏の造立について詔を出します。

       
           「如来 ━信仰と造形━    高木豊/坂輪宜敬  東京美術
2001/1



関連リンク
     東大寺    http://www.todaiji.org/index.html