現在の名称    :存在せず(廃寺)
足利時代の名称
  :安国寺

所在地   :鹿児島県川内市中郷町
中郷村(現中郷町)に歴応2年(1339)足利尊氏の命令で建てられた1国1寺に由来する臨済宗「太平山安国寺」があった。古くは京都南禅寺末で、境内3町、寺領300石を有したという。
だが、豊臣秀吉の薩摩侵攻の際兵火で焼失、のち再興され伊集院広済寺の末寺となった。江戸時代は中郷の菩提寺で、門外に鎮守霧島六社権現廟があった(三国名勝図会)。寺領1石を与えられ、足利尊氏以来の室町幕府将軍の位牌が安置されていた(三州御治世要覧)。明治元年(1868)廃寺となる(鹿児島県地誌)。
        
    日本歴史地名大系  鹿児島県の地名 より
なお、「跡」の近くに明治15年に建てられた浄土真宗本願寺派の「安国寺」があるが、名前のみ継いでおり、中世安国寺から伝わるものは何も無いという。

2001/06
安国寺については、中郷町の育英小学校ならびに農協支所一円がその跡地といわれている。
                           川内市史 より

訪問記
三国名勝図会
室町安国寺は秀吉の鹿児島侵攻で焼失し、再建された安国寺は寺領も1/300となってしまった。
上の図会にあるのが再建された安国寺である。
2003/09
秀吉侵攻後再建された安国寺も宝永5年(1708)大風被害にあい、さらに荒廃し古文書などの旧記がことごとく失われたそうである。そしてその跡に現在は育英小学校が建てられている。
小学校の脇に現安国寺があるが、引き継ぐのは名前だけである。ただ、安国寺跡にあった、礎石のいくつかと市で最も古いと思われる無縫塔がある。

さて、現安国寺であるが、その設立の経緯は別としてかっての寺域に同じ名前で建てられているのであれば「再建された」寺として良いと思われる。
旧寺院のご本尊や寺宝、文書などが引き継がれていれば本当に再建されたものといえるのであろうが、多くの寺で度重なる焼失や明治の廃仏毀釈で過去のものは全く無くなり、廃仏毀釈が解除されてから、更にその後昭和に入ってからもその場所に同じ名前で建ったという事情も多く見てきた。宗旨も異なったりする。これらいろいろのお寺の中で何を根拠として再建なのかそうでないのかを決めればよいのであろうか。全て再建された現寺院と見なければならないものと思う。
現安国寺
安国寺跡にあった礎石
安国寺跡にあった無縫塔