現在の名称    :存在せず(廃寺)
足利時代の名称
  :安国寺

所在地   :神奈川県鎌倉市山ノ内
「安国寺」の名前が初めてみえるのは、1383年夢窓疎石33年忌仏事結解であって、この中に「諸禅律僧尼寺17箇所」として「安国寺」が含まれている(黄梅院文書)。また、この文書との先後関係は不明だが、鎌倉御所氏満の花押のある「明月院古図」にも掲載されている。
江戸時代初期のものとして「建長寺境内絵図」(伝延宝図、建長寺所蔵)には、山ノ内の道に面して「長寿寺」の向かいに「安国寺跡」と記されている。


                           「鎌倉の廃寺」より
JR横須賀線「北鎌倉」駅前を通る道は県道ではあるが「鎌倉街道」である。鎌倉に向かい、北鎌倉駅を過ぎるとのぼりの坂道(切りとおし)となり、やがて正面に「建長寺」(臨済宗建長寺派の大本山)の入り口が見えてくる。その入り口には交通信号があるが、その一つ手前の信号のところ右側に「長寿寺」がある。
上の文章「山ノ内の道に面し長寿寺の向かい」からすれば、下の写真のように現在では町並みである。
かつての「安国寺」は鎌倉街道に面し、鎌倉への入り口の防備を考えた大きな寺であったのだろうか。
近くにある蕎麦屋さんで「現在石碑か何か残っているのか」聞いてみた。何もないという。江戸時代初期に既に「跡」であったのだから当然かもしれない。

2001/05
「相模安国寺」推定地にある現在の町並み