現在の名称  :南明山補陀寺
                    光勝院
所在地   :徳島県鳴門市大麻町
宗派    :臨済宗
本尊は白衣観世音菩薩。四国八十八ヵ所霊場第一番札所霊山寺の東方800mの山麓部に所在する。「光勝寺縁起略」によれば、歴応2年阿波細川氏の祖となる和氏が居城とした秋月(現板野郡土成町)に、夢窓疎石を勧請開山として南明補陀寺を建立。実際は和氏の五男で細川頼之の猶子、笑山周念が開山に迎えられる。一方、同年足利尊氏、義直兄弟が補陀寺を阿波安国寺に当て、正式には安国補陀寺と号し幕府の保護を受ける官寺として諸山の寺格を与えた。その後貞治2年室町幕府の管領細川頼之は父頼春の十三回忌に普明国師を開山に迎えて補陀寺の南に光勝寺を建立(阿波国奇事雑記)。院号は頼春の法名光勝院殿にちなむという。応安年間頃頼之の弟詮春が居城を勝瑞(現板野郡藍住町)に移すと、補陀寺、光勝寺2寺を合併して現在地に移転したという(県史2)阿波細川氏が幕府の重臣として活躍する室町中期まで、多くの堂塔、塔頭を有し、寺領3000貫と伝えるほど興隆を見せた(鳴門市史)。
現本堂と方丈は蜂須賀第5代藩主綱矩の時再建に着手し、貞享3年の完成。本堂の裏手に開山堂があり夢窓疎石像が安置される。境内には頼春の墓石がある。
                   
日本歴史地名大系  徳島県の地名  より
関連リンク
   徳島中央広域連合           土成町観月楼(安国寺跡)
       http://www.tcu.or.jp/manyuki/donari/course/kangetsurou/index.html

利生塔の寺「切幡寺」の上り口で「安国寺跡」を尋ねる。ここから少し東に行くと「史跡公園」の案内が出るのでそこを山にいくといいといわれた。その通り行くと狭い道であるが「安国寺跡」にたどり着く。
ここには立派な「安国寺跡」を説明した石碑があった。そして更に上の方に幾段かの平坦な場所があり、石段がつけられている。ただそれだけの公園である。かってはこの平坦な場所には堂宇が建っていたのだろうか。ここからすそのほうにはいくつもの堂宇が建てられる場所がある。山すそに建つ大きな寺院群を想像した。

安国寺の流れを汲む現在の光勝院は安国寺跡よりはるかに東にある。掃除はされているが手入れはされず、ずいぶん痛んでいる。無住であろうか。

2002/11
安国寺跡石碑
歴史公園
光勝院
五山十刹一覧  延徳4年(1492)頃