現在の名称  :楊岐山安国寺

所在地   :岐阜県揖斐郡池田町小寺
宗派    :臨済宗
岐阜県大垣市街から国道417号線で北西に進むと赤坂で杭瀬川の橋を渡る。更に川沿いに北上すると近鉄養老線「いけの」駅の入り口があり、その少し先を左折、西に向かうと池田町小寺がある。

楊岐山安国寺は足利尊氏が創建した寺である。開山は鎌倉圓覚寺42世、此山妙在禅師で、その後各地より名僧が招かれて住持したが、当山は境内も広大で、利生塔と共に七堂伽藍が立ち並んでいたと伝えられている。その後たびたびの戦火で荒廃したが、明応4年(1495)美濃守護職土岐成頼も当寺に入り剃髪している。また、裏山には伊予国の河野通直(伊予水軍の統領)の第4子稲葉通富によって城髭城(池田山城)が築かれ、今も城跡の一部が残っている。
織田信長の第2子信雄の安国寺に対する制札なども、再度の戦火を免れ現存している。

以上 美濃安国寺 ご住職よりお送りいただいた「由来」をもとに作成いたしました。又、ご住職より毛筆の送り状もいただき心からお礼申し上げるしだいであります。

2001/05

訪問記
訪問は7月11日夕方である。美濃国分寺跡から安国寺に向かったのが5時過ぎであり、しかも小雨の中で安国寺での写真撮影が可能かどうか心配な時間であった。赤坂から国道417号線を北上する。池野の手前で左折し小寺を目指したのであるが小寺らしきところで道を完全に外してしまい行き止まりに入ってしまった。この場所を脱出するのに手間取ったが、犬を散歩させている人に安国寺を尋ねると教えてくれた。着いたのは午後6時近く、夏至を過ぎてまだ間もない日であったのでかろうじて写真の撮れる時間であった。これで今日のうちに次の目的地の飛騨へ行ける。

現存する安国寺は小さなお寺になっているがさすが古さを感じる。
立地は後を山にして前に平地が広がっている。往時はこの一帯が守護の土岐氏が祈願所とした大寺院「美濃安国寺」であったのだろう。
本堂と標柱
本堂の扁額
鐘楼
安国寺の前 濃尾平野の地平線がけむっている
かって七堂伽藍が並んでいたのだろう
広域図
池田町町内図
2003/07