現在の名称  :仏光山安国寺

所在地   :千葉県富津市亀田
宗派    :浄土宗
東関東自動車道「木更津南インター」で降り国道127号線を館山方面に向かう。富津市に入り少し走ると「佐貫」交差点がありここを右折する。そのまま行くとJR内房線「佐貫町駅」に出るが、信号から間もなく「プラザやまもと」の脇路へ右折して入ると先に「上総安国寺」がある。

面白いことに富津市内のJR駅には「ふっつ」という駅が無い。さらに、JRで「町」のつく駅もそう多くは無いがここはその珍しい「佐貫町駅」である。大正時代JR内房線が開通するにあたり当時の町長が国鉄に「江戸時代からここは佐貫町と呼ばれていたので駅名も佐貫町にして欲しい」と申し入れ実現したのだそうである。

「上総安国寺」は足利尊氏が全国に安国寺を創建した時に新設された寺である。この地は西から軍が東に攻めてきたときには浦賀から海をわたり上陸する地点にあり、ここに軍事基地を設ける必要があったのだろう。古代からここ(浦賀水道)は東海道の中の海路であり国の名も「上総」で、その北「下総」(千葉県北部)にはここから陸路を取ったものである。
中世の安国寺は戦国時代(1519)に戦乱で焼失し、後に近くに再建され臨済宗から浄土宗にかわり現安国寺に至っている。
中世安国寺の跡は「プラザやまもと」の裏手に広がる水田地域と想定されている
中世安国寺を語るものは屋根につけられた「二引き両」の寺紋(足利の家紋)と、尊氏の持念仏(鎧観音)と、かつての寺の礎石である。
持念仏は御開帳時しか見られないが、礎石は本堂の前に庭石風に置かれそこに建つ石碑で由来を説明している。
現安国寺には「不動堂」が建てられており、およそ1100年前に天台宗第5台座主智証大師作と伝えられる「不動明王像」と「愛染明王像」が収められている。この不動明王は「波切不動」と尊称され海上交通の守護神として古くから崇拝されてきた。
安国寺正面
中世安国寺の礎石
中世安国寺推定地
不動明王像
不動明王像の写真と安国寺の資料はご住職より訪問前にお送りいただき、本レポートに使用させていただきました。厚くお礼申し上げます。

(2001/06)