現在の名称    :存在せず(廃寺)
足利時代の名称
  :安国寺

所在地   :三重県上野市三田 沢
上野盆地を南に望む山麓にあり、「安国寺」と陽刻の鐙瓦が出土。古くは平等寺と称した。
足利尊氏、直義は全国に一寺一塔の建設をはじめ、貞和元年(1345)には光厳上皇の院宣により、寺名は安国、塔は利生と呼ばれることになった。伊賀では同2年6月6日付の足利直義御教書(三国地誌)「建武以来建立諸国寺塔、毎国各一所事、去年2月6日院宣如此、所被下通号也、早改当寺号、可為伊賀国安国寺之状如件」が平等寺長老宛に出された。かくて、平等寺は安国寺と称号され京都東福寺の庵知止が招かれ開基となった。
当寺は「伊水温故」に「天正乱以前也」、「伊賀国誌」に「天正に兵火あり」とあり、貞享(1684〜88)頃には廃寺となっていたようである。
だが、「本光国師日記」(内閣文庫蔵)寛永9年(1632)9月5日条では諸山禅刹の部に「伊賀瑞光山安国寺」の名が見えるが、これは現三田寺(さんでんじ)のことである。

                   日本歴史地名大系  三重県の歴史 より
参考
三田寺  臨済宗東福寺派
上野市三田は上野市から信楽町に通じる国道422号線の「伊賀上野」駅から北に踏み切りを越えたところである。
日本歴史地名大系の文からは「現三田寺」は関係無いと読める。しかし、もしかしたら寺号が受け継がれたのかとも考え訪ねてみた。
ご住職の話では「過去安国寺と称したことはあったが足利との関係は何も伝わっていない。安国寺跡についても具体的には知らない。」ということであった。
2001/06