現在の名称    :存在せず(廃寺)
足利時代の名称
  :安国寺

所在地   :宮崎県日南市板敷
板敷の南部、中島田の南端にあった臨済禅寺。太平山と号し本尊は文殊菩薩。江戸時代は飫肥城下に接し、飫肥領五ヵ寺の一つに数えられていた(日向地誌)。当初は日向国安国寺として郷之原(現北郷町)に創建されたという(同)創建は足利尊氏・直義による暦応元年の安国寺利生塔建立発願後間もなくのことと思われる。「蔭涼軒日録」永享12年(1440)によると広灯庵鹿浄の推挙によりにより妙怡が「日向国安国寺」の住持に新任され、またこれより以前に諸山に列せられていた。文明18年(1486)兵火にかかって焼失したという(「爛枯柴」など)。戦い後飫肥の領主になった島津忠廉は当寺の荒廃を惜しみ、長享元年(1487)寺地を飫肥板敷に移し、中興したという(宮城県史跡調査)。おそらくは宝永3年(1706)に建仁寺末となり、後に京都妙心寺末になったものと思われる。「日向地誌」では明治5年に廃寺となったとある。

                 
日本歴史地名大系  宮崎県の地名 より

2001/06