現在の名称 :朝日山安国寺
所在地 :佐賀県神崎郡神崎町仁比山(にいやま)
宗派 :黄檗宗
土器山(かわらけやま)の東麓で前面は城原(じょうばる)川。もと大光寺と称した。本尊は釈迦如来。
嘉暦2年(1327)2月3日の藤原光秀寄進状案(仁比山神社文書)に記載されるところから鎌倉末期にはかなりの名刹であったと推定される。巧安の開山と言う。この僧は元弘元年(1331)80歳で死去しているから、同寺の創建年代は13世紀末と考えられる。建武新政府は大光寺に対して寺領岩田村を安堵した(竜造寺家文書)。
足利尊氏は肥前国ではこの大光寺に手を加えて安国寺と改称し、勅額と寺領を与えた。しかし江戸時代以前の古文書は、豊後大友勢の侵入の際焼失し何も残っていない。ただ、寛文10年(1670)小城の円通寺の菅堂の上書「安国寺言上之事」(長崎県立図書館蔵)がわずかに往時の事を物語る。それによると開山は仏智円応、安国寺指定は歴応2年(1339)と伝える。隆盛を誇った安国寺もその後寺運が傾き、44代の後、唐僧即非の弟子翠峰が中興。
寺の西方に即非の遺髪塔が翠峰によって建造されている。さらに寺の東方の谷には多久で戦死した少弐資元の供養五輪塔がある。
日本歴史地名大系 佐賀県の地名 より