現在の名称    :安国寺釈迦堂

所在地   :熊本県菊池郡泗水町豊水
字久米に小堂が残り、足利尊氏・直義が全国に設けられた安国寺跡と伝えられる。
「覚兼日記」天正14年(1586)2月14日条に「伊集院広済寺雪岑和尚、肥州合志之安国寺被給」とみえる。「一統記」に「久米安国寺者草創等寺院贈従一位行左大臣仁山義居士也」とあり、草創者を足利尊氏としている。「国誌」には「安国寺護法山天台宗叡山正覚院末寺初号青原山寿勝寺開山東明慧日和尚」とあり、元応年中(1319〜1321)当国に来往した慧日が合志郡久米庄に寿勝寺を開き、歴応2年(1339)尊氏・義直が寿勝安国寺として再興したという。
なお、「肥後名勝略記」は「安国禅寺は青原山寿勝安国禅寺と云、この安国禅寺の寺跡未詳其所、一説に久米の安国寺を歴応の時一州一寺の安国禅寺に改めらるると云、この説には不審あり」と記している。
永正6年(1509)当地で豊後大友氏の軍と戦って敗れた菊地政隆は当寺で自害したと伝えられ、「国誌」久米村の項に菊地政隆墓が記されている。

  日本歴史地名大系 熊本県の地名  より

安国寺跡は今回の熊本・鹿児島ツアーの最初の訪問地である。事前に泗水町教育委員会に問い合わせたところ町の管理でお堂が残っているということであった。熊本空港に着きレンタカーを借りナビを豊水に合わすが「安国寺」は出てこない。とりあえず豊水に向かい現地で問い合わせながらいくこととした。やはり現地では表示は出てこない。目に付いたお店で問い合わせると教えてくれた。

「安国寺釈迦堂」と石の標柱に書いてある。お堂だけであり無住である。
お堂の中にはご本尊が安置されており、町指定文化財を示す額がかけられていた。
安国寺を保存するために町が出来るぎりぎりの姿なのであろう。
ただ、他の説明は「肥後守護菊地政隆公終焉の地」というものだけであり、かっての安国寺を説明するものは無い。
いずれ正真正銘の「廃寺」となるのであろうか。

泗水町教育委員会に「肥後安国寺」の状況について問い合わせた。この場所の史跡としての登録は「安国寺跡」となっており、跡に「釈迦堂」が建っているという姿なのだそうである。また、一説に宇土市に肥後安国寺があったといわれているがどうか?ということについては、古代からの肥後の発展状況は菊池郡が最も早く、中世の様子から見てもこちらが安国寺とするに最も適したところと考えられるということであった。
2003/09
釈迦堂
ご本尊