現在の名称  :太平山安国寺

所在地   :岐阜県吉城郡国府町西門前
宗派    :臨済宗妙心寺派
最寄り駅  :JR高山線飛騨国府駅
前日高山に泊り朝早く高山の国分寺と朝市を廻り安国寺に向かった。安国寺に着いたのは7:30ころ。それでも早い。周りがまだ朝もやの中である。お寺の前にある駐車場に車を止め、車から降りて眺めると現在でも大きなお寺と文化財の存在を示した説明板が目に入った。かつての安国寺をどのくらい残していてくれるのだろうか、期待できるというのが第一印象であった。


安国寺
本尊釈迦如来。足利尊氏・直義兄弟は元弘(1331-34)以来の戦死者の慰霊の為、暦応元年(1338)ころより貞和年間(1345-50)にかけて国ごとに一寺一塔を建立させた。飛騨国の安国寺は瑞巌を開山として、貞和3年建立されたという。文安2年(1445)諸山となり、宝徳元年(1449)には十刹になったと伝える。創建当時の本殿は天文(1532-55)から永禄年間(1558-70)の兵火で焼失し、現在の本殿は寛永元年(1624)金森重頼により再建された。国宝の経蔵は大正11年(1922)解体修理のとき発見された墨書によると、応永15年(1408)願主超一によって建立された。建築様式は重層・入母屋造の唐様建築。中に入ると中央に八角の輪蔵があり、元版の一切経2208巻と応永2年の春日版大般若経347巻が納められている。いずれも県指定重要文化財。輪蔵の軸部から出ている木鼻を押すと、輪蔵は軽く回り、人々はこれを回して供養したという。
開山堂の塑像瑞巌和尚坐像は、明徳3年(1392)弟子本瑞が瑞巌の灰で作ったといわれる。木造須弥壇・像内納入経とともに国指定重要文化財。また木造の釈迦三尊像(ご本尊)は、延文2年(1357)大仏師駿河法眼定範によって作られたものとされ、県指定重要文化財。
日本歴史地名大系
岐阜県の地名

古い資料には飛騨安国寺の旧名として「少林寺」と書いてある。ガイドブック「安国寺風土記」にも「前身が少林寺」と書いてあるので、「少林寺」というお寺があった場所に安国寺を建てたものであろう。
なお、国宝経蔵についてはパンフレットが詳しいのでその内容も併記する。

経蔵
 昭和38年国宝指定

室町初期、応永15年(1408)建立され、禅宗様(唐様)造り、一重裳腰附き、屋根はこけら葺きとなっています。内部の八角輪蔵は日本最古のものといわれています。納めてある一切経5397巻は中国杭州大晋寧寺にて、至元代に編纂された木版経本で、当寺塔頭南陽軒主、本源一公都寺禅師が入唐3年に及んで、もたらされたものです。益田郡萩原町奥田洞、豪族奥田弾正少弼親の寄進と伝えられています。
飛騨安国寺パンフレット

数字等若干の違いはパンフレットが正しいのであろう。


飛騨安国寺の梵鐘
照蓮寺(高山市堀端町)。城山の北山麓、城山公園旧二の丸跡に位置する。境内には天正2年の天正2年の再建にかかる中門、鼓楼・鐘楼がある。建武元年(1334)3月12日の飛騨安国寺の陰刻銘のある梵鐘(県指定重要文化財)も蔵している。
日本歴史地名大系
岐阜県の地名


飛騨安国寺銘の梵鐘が高山市の照蓮寺にあるという。残念ながら現物は見ていない。どのような経緯で照蓮寺に移ったものであろうか。

飛騨安国寺を一回り拝観し写真を撮り終えたところでご住職を訪ねた。予約なし、早朝突然という不躾な訪問であったが、おいでになったご住職にお会いすることが出来た。
ここのご住職とお会いするのははじめてであるがご住職は全国安国寺会の事務局を引き受けておいでになり、以前私が関東の安国寺を訪問したときに「知りたいことがあれば飛騨安国寺のご住職に問い合わせてごらん」といわれ、電話、メールでお世話になった方である。
昨年発行されたガイドブック「安国寺風土記」も、この方がいなければ今後とも発行されることがないであろうと思うほど安国寺会の発展に力を入れえておられる方である。
そして、お話を伺った後ご本尊と経蔵内部の拝観をさせていただいた。実にタイミング良く、普通であれば体験できないようなようなことが出来たのである。
ご住職には心からお礼を申し上げ帰途に着いた。
中世の安国寺がこれだけでも良く残っていてくれたものだと感激する感じである。利生塔の跡が残っていてくれたらと、それだけが残念であった。


さて、飛騨安国寺は「国府町」にあり、「国府町」といえば普通古代国府のあったところといってよい。しかし、現在飛騨国府は高山市にあったものと推定されている(確定はされていない)。では、なんで国府町なのかにふれてみたい。

国府町
明治8年(1875)吉城郡の22か村が合併して国府村となる。村名は飛騨国府が広瀬町の山崎にあったとする説によるが、確証は無い。
日本歴史地名大系
岐阜県の地名


飛騨国府

『大日本地名辞書』には「今大名田村七日町の辺とす。国府、総社並びに国分寺ここに存す」とある。七日町は現在高山市域に入っている。ところがここ岐阜県においては高山市の北の吉城郡にその名も国府村があって、(中略)広瀬町の役場で、地籍図を検しながら、何故この地を国府と呼ぶかを調査したが、ついに具体的な証拠をつかむことは出来なかった。
「国府」 藤岡謙二郎


ということで、町名については関係者の皆さんは困っているのではなかろうか。
入口にある文化財の表示
山門
本堂
薬師堂と開山堂
開山堂
開山堂内の文化財
経蔵
八角輪蔵  パンフより
鐘楼
案内図
2003/08
関連リンク
      飛騨国府町            KAZZBONさんの「故郷と我が町」より
        
http://www.ne.jp/asahi/kazzbon/iminonaihp/kokufu/kokufu.html