現在の名称    :存在せず(廃寺)
足利時代の名称
  :安国寺(日円寺)

所在地   :福井県今立町別印
月尾谷の谷奥、通称法界門一帯が寺跡と推定され、現教徳寺付近から層塔・宝篋印塔・五輪塔・墓石などの断片が数多く発見された。

「扶桑五山記」によると、開山は南禅寺初代の仏徳禅師元翁本元で、寺内には多宝塔があった。元翁本元の没年は1326年であるから日円寺の草創は鎌倉時代末期ということになるが、永平寺14世建撕の著「建撕記」(応仁2年)によると、京都で道元の身の回りの世話をしていた覚念が、道元の死後に別印に寺を創建したとある。これが当時の前身とも考えられ、とすれば、元翁本元はこれを再興したものであろうか。

「扶桑五山記」は室町時代日円寺が越前の安国寺であったと記す。「蔭涼軒日録」(1441)によれば日円寺には利生塔も設置されたと考えられる。
その後少なくとも朝倉氏時代までは寺があったことはわかるが、おそらく天正の一向一揆の際焼亡し、廃寺となったものであろう。

             
日本歴史地名大系  福井県の地名より

「今立町」は国府のあった「武生市」の東にあり、その中の「別印」は鯖江市から一部林道を通り岐阜に通ずる国道417号線にある。日野川の支流月尾川の上流という山奥である。

2001/06