現在の名称 :存在せず(廃寺)
足利時代の名称 :安国寺
所在地 :新潟県上越市西本町2丁目など
国道18号線にかかる陸橋「おたて橋」東側一帯が当寺名に由来するかっての大字安国寺の地域で、このあたりに跡地が求められ、寺域も地名から推定し広大であったことが想定されるが、遺構は確認されていない。(直江津駅の西に当たる)
西本町2丁目の南端を信越本線が通るが、その敷設工事の際五輪塔が多く出土、線路下に埋めると伝える。安国寺は各国守護の菩提寺である五山派の禅院が指定されているので、当安国寺もそれ以前は守護上杉家の菩提寺であったと推定される。
越後安国寺は、足利将軍家・越後守護職上杉家の保護を得て繁栄したとみられる。
永正4年(1507)守護上杉房能は守護代長尾為景によって府中を追われた。この時の兵乱で当寺は焼亡したと伝え、伝来の文書も行方不明となったという。
再興された安国寺は上杉景勝の保護下にあり、天承11年(1583)には僧桂天に安国寺一花院が与えられ安国寺領ならびに諸末寺の諸役が免じられている。
慶長3年景勝の会津移封に桂天他僧が同行したため安国寺は廃寺となった。
日本歴史地名大系 新潟県の地名 より
(2001/06)