<推定>
現在の名称  :
太平山興国寺

所在地   :富山県富山市布市
宗派    :臨済宗
本尊は釈迦如来。桃井直常が興国年間(1340-46)に建立したという。興国寺安置の桃井直常の位牌は天授2年(1376)6月2日の銘を持ち、「興国寺殿仁沢宗儀大禅定門」とある。

東福寺文書によれば開山は秀峰尤奇で、京都東福寺栗棘派である。但し中世末には京都南禅寺ともかかわりをもち、万治2年(1659)以前に法灯派(紀伊興国寺を本山とする)の国泰寺(現高岡市)末となっていたようである。足利政権下で設置された安国寺について、国泰寺を越中安国寺とする説には疑問がある。
「不二遺稿」には見剛直宗が安国寺から崇聖寺に入寺したとの記事が見え、越中安国寺はこの法系の寺院だったと推測される。また、興国寺が越中安国寺近傍の布市地区・月岡新地区におよそ24町4反に及ぶ安国寺寺割といわれる小字がみられることから、興国寺が越中安国寺と関係があるのではないかと推測されている。

延宝元年(1673)富山藩主前田利次から布市村5890歩の寺地を寄進されている(興国寺文書)。
桃井直常の墓と伝えられる宝篋印塔(桃井塚と称された)があり、出土した瓦器などや直常所持とされる懸仏を伝える。なお、興国寺前には桃井直常の居館があったという。
                
 歴史地名大系  富山県の地名  より

興国寺に確認したところ「寺には安国寺であったことを示すものは何も残っていない」とのこと。
また、富山県教育委員会を通し前述「大系」の「興国寺担当著者(研究者)」の話を聞くことが出来た。著者のご説明によると「高岡市国泰寺に『国泰寺があるから安国寺を建造しなかった』、『歴応2年国泰寺を越中安国寺に当てるという光明天皇の勅があった』などの文書(清泉妙意禅師行録)があるが、これには疑問がある。従って上記の結論を得ている。興国寺にあるものでは確認できない」とのことであった。


寺紋を興国寺におききしたところ「五三桐」とのこと。この紋はそもそもは「後醍醐天皇が足利尊氏に与えた天皇家の紋」である。これも証拠の一つであろうか?

2001/09

訪問記

06年11月2日に興国寺を訪ねた。布市駅の少し南にある。周囲は畑の多い農業地帯で、平坦なところに建てられている。かっては大寺院であったのだろうが、現在は普通の寺院になっている。特に安国寺を思い起こさせるような雰囲気は無い。ただ「大平山」という山号が安国寺によく使われているものというだけである。

山門

本堂

南側より見た興国寺

2006/12