現在の名称  :瑞雲山安国寺

所在地   :広島県福山市鞆町後地
宗派    :臨済宗
本尊阿弥陀三尊。当寺は足利尊氏、直義の兄弟が安国寺・利生塔を全国に建立した際、備後国の安国寺として創建されたと伝える。しかし、本尊の胎内に造立銘が発見され、もと金宝寺と称する寺でその創建は文永年間(1264-75)にさかのぼり、のち歴応2年(1339)に安国寺に改められたのではないかと考えられるようになった。ただ、安国寺に改められた時期に付いては、安国寺と記された史料が応永6ねん(1399)を所見とし(現愛媛県伊予市伝宗寺蔵大般若経奥書)、逆に歴応2年に「鞆浦釈迦堂」(浄土寺文書)の名が見えるため疑問視する説もある。
当寺は南北朝期以降しだいに衰退の道を辿り、天文年間(1532-55)には鞆を支配していた渡辺氏が寺領について配慮したこともあったが、安国寺恵瓊が当寺の住職を兼ねるにいたって再興された。慶長4年(1599)には毛利輝元を大檀越として釈迦堂の修理が行なわれ(安国寺釈迦堂内陣聯銘文)、その頃鞆の三分の一を領していたという。
近世には再び衰えて無住となった期間もあり、京都妙心寺末に編入され、塔中寺輪番により守られて明治に至った。大正9年(1920)には火災によって本堂(法堂)を失ったが、正和に入って釈迦堂や本尊阿弥陀如来像、法灯国師坐像などの本格修理がなされている。近年庭園の整備がなされ、桃山時代の作風を残すものとして注目された。境内全体が県指定史跡、庭園内のソテツは県指定天然記念物。
釈迦堂(現本堂)は国指定重要文化財。中国から将来された禅宗仏殿形式をよく伝えている。建築年代は安国寺となった南北朝期と考えられていたが、前述の慶長大修理をはじめ、延宝元年(1674)、明和2年(1765)の修理などを経て、昭和7年(1932)から同9年にかけて解体修理が行なわれ、旧観に復した。
釈迦堂に祀られる本尊の木造阿弥陀如来及両脇侍立像(三躯)も国指定重要文化財。一光三尊形式のいわゆる善光寺式阿弥陀三尊像。善光寺式三尊像は、鎌倉時代に盛んになった聖徳太子信仰に善光寺如来への信仰が結びつき作られたものとされる。
木造法灯国師坐像も国指定重要文化財。胎内に水晶五輪塔や「建治元年十二月十八日覚心」と記した梵字真言・仏眼偈文一通(写)が納められており、国師69歳の寿像とされ、鎌倉時代頂相彫刻の代表作の一つと評される。胎内品も国指定重要文化財。
               
日本歴史地名大系  広島県の地名  より

2002/02