現在の名称  :佛日山安国寺

所在地   :千葉県鴨川市北風原(ならいはら)
宗派    :曹洞宗
「木更津市」から「君津市」を通り「白浜町」へ出る「国道410号線」が「鴨川市」に入って間もなくを右に折れると「北風原」があり「安国寺」がある。ここは「鴨川市」の中でも西にあり、JR鴨川駅からはずいぶん西に入ったところで、「加茂川」の上流といってよいところである。

足利尊氏創建時の「安房安国寺」は現在の地「北風原」より少し南の「寺門」にあったという。この地名「寺門」は「安房安国寺」の門前町としてあったのであろう。現在そこは田圃であり、発掘されたことも無いようである。ただ、この地には古くから安国寺に携わった職人らしき屋号も残っており、それも存在を示唆していると思われる。

現在の寺はその後中世安国寺に替え現在地に立てられた。八間四方の大きな寺であったがそれも焼失、元禄十六年に五間×七間の規模で再建され現在にいたっている。その間に宗派は臨済宗より曹洞宗に改派している。
本尊の薬師如来、聖観世音菩薩、地蔵菩薩は元禄以前の相当古いものと思われる。ほかに「御朱印箱」、「開山肖像画」等がある。

「安国寺」創建時を想像しようとし、その地は「足利ゆかり」か、または何か「大寺院」を想定できるものがあるかどうかの立地をご住職に聴いたところ、「安房鴨川」は「里見氏」の地盤であり寺などもあるが場所はずいぶん離れているという答えであった。
今まで、調査しだし僅か数ヶ所であるが、「何故その場所が安国寺になったか」という点ではわからないところが多い。「国分寺」の場合は「続日本紀」に「国府の近くに作れ」という天皇の指示が出ていたが、「安国寺」はどうもそのようなものは見つからない。

 以上「安国寺」ご住職からの手紙での由緒説明と、電話でのご回答を参考にしました。ご親切な対応に深く感謝申し上げます。

(2001/05)
訪問記
富津市から鴨川市に向かう。「長狭街道」に出て少し走るとバス停「安国寺」が出て、その少し先に現「安国寺」があった。さすがに地方の寺院としては大きい。
本堂、観音堂、鐘楼、庫裏などがならぶ。ご住職がおいでになったので、先日のお礼を申し上げ更にいろいろと話を伺った。
寺の屋根についている「寺紋」は「一引き両」で、里見氏の紋とのことである。しかし、里見氏も「二引き両」のはずであるが、どうなんだろうか?

そして中世の「安国寺跡」推定地に案内してもらう。
現安国寺のすぐ裏手が一段高い台地になっており、殆どが水田になっていた。ここに七堂伽藍が建っていたことが推定できる十分な広さを持ったところである。
周囲が全て平地ではないことから、この地はやはり平地に造成し安国寺を建立、安国寺荒廃後その平地を利用して水田としたものではなかろうか。
発掘整備保存をしたいものである。
観音堂、鐘楼、本堂、庫裏
中世安国寺推定地
観音堂の仏像
観世音菩薩坐像
薬師如来坐像
地蔵菩薩坐像
堂内の厨子を開けて撮影を許可してくださった。中央に大きな「観世音菩薩」左右に二周りほど小さい「地蔵菩薩」と「薬師如来」の坐像が配置されていた。これはいわゆる三尊形式ではない。「薬師如来」が「脇侍」の形になっている。
ご住職は、形式は不思議ではあるが由来は伝わっておらず不明だとの事であった。


(2001/05)