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ゾウさんのつぶやき1999保存版

 柴谷市長は石原慎太郎になれるか?



 ◎疲れていたせいもあって、しばらくつぶやくのを控えていたが、HPを刷新したのを機にまたぼちぼち書き始めようかと思う。
 ◎今年に入って、柴谷市長と何度か話す機会があった。この欄は市長も読んでいて、反論は多々あるらしいが、そのことはあまりおっしゃらないので、こちらも言わないが、いろいろ話していて思うのは、実にエネルギッシュで、自分が正しいと思うことには、誤解を恐れず突き進むPUREな人だな、ということである。
 ◎普通トップは、何かをやると決めても、もしできなかったときのことを考えて、直接の火の粉はかぶらないように発言するものだ。つまりは責任を問われない逃げ道だけはつくっておこうとするものなのだが、柴谷さんは、陳情があったりして、それはそうだと納得すれば「よしやりましょう」と即答する。それのみか、その場で担当の職員に指示を出す。
 ◎指示も「検討しろ」、ではない。「実行しろ」なのだ。これはえらい、と思う。もっとも職員のほうは面食らって、「そんなもんできるか、むちゃくちゃや」「何考えとんねん。しらんぞどないなっても」となる。これももっともなのであって、前の西辻さんは勿論、20年間務めた山脇さんの手法とも全く違う未知の世界なのだ。両市長とも、よく言えば慎重だった。周囲の諸条件を斟酌し、職員の見方やこれまでの積み重ねを重視して、その条件次第では、たとえ自分はやるべきだと思っていることでも軽々にやるとは言わなかった。
 ◎こちらのほうが責任ある態度だと言えなくもない。しかし、その結果、何十年にもわたって積み残されてきた懸案事項がどれほどあることか。その一例を挙げれば、産業界が長年熱望してきた用途地域の見直しの問題だ。昭和30年代に誘致を受けて進出してきた中小企業の多くが、その後の人口急増期に周囲に張りついた住宅の住民との様々な軋轢に曝されている。しかもその後に指定された用途地域で工場が立地する地域も含めて住居地域になっている。
 ◎住民にすれば公害があったり、危険を伴う工場は出て行けと言う主張を持つし、工場側は住宅ができたのは後からじゃないか、しかもここへは市の誘致を受けて来たんだ、という主張があり対立は解けない。公害問題が盛んだった昭和40年代以降どちらかと言えば住民側に強みがあって、行政も住民の声を聞く側に立ってきた。従って、住居地域では建て替えも出来ない拡張の余地もないということで、多くの優良企業が、八尾から郊外へと移転していった。
 ◎これでは八尾市には産業が立地する余地がなくなってしまうじゃないか、企業が成り立つような最低条件である用途地域に指定して欲しい、というのが、長年商工会議所から市に出されてきた要望事項だった。しかし現実は、企業も市民なら住民も市民、真っ向から対立するこういう問題には何十年もほとんど行政は無力だった。そこには政治家の様々な思惑も絡んで、収拾がつかなくなるのを恐れて、手を触れずに来たものだった。
 ◎こういった難しい問題こそ、政治的決断が求められることなのだが、歴代トップは、暖簾に腕押し、糠に釘で、理解は示すものの解決へ腰を上げることはしなかった。いや、単に手をこまねいて、見てみぬふりをしてきたとは言わない。何かのチャンスを捉えてはアタックしてきたのは事実だ。だが結局は断念せざるを得なくなり、その経緯や諸条件の積み重ねを聞かされたトップもそれを了としてきた。
 ◎先日ある経済界の重鎮から電話があって「今度の柴谷君は、なかなかやるんじゃないかな。私が中小企業の将来を思うならやってくれ、といったら、やると言ったよ。それだけじゃない、その場で担当に電話して指示してくれたよ。こんな市長は初めてだ」と、随分ご満悦だった。
 ◎数日後市長に会ったら、具体的な話は敢えて聞かなかったが、「中小企業の育成は私の公約ですから」と言っていた。そう簡単にできることではないことは、市長も知っているはず。それでも、市民から切実な要望を突きつけられれば、何十年も放置されてきた難問にでもあえて手を突っ込もう、という心意気は評価すべきだ。
 ◎つまり、問題から逃げずにとにかく土俵には上げようじゃないか、その上でより良い方法を議論して、結果を導き出せばいい。これまで、密室の中で根回しを繰り返し、納得ずくで決まったものだけを明るみにして、形式的な審議をしてみせるという、伝統的なやり方を打破しないと、この時代の「改革」はできないぞ、という柴谷さんの手法と解釈すれば、彼の言う「市民の視点で」も理解できるのだ。
 ◎このイズムは、まだ庁内全体には浸透していない。それにはここでは敢えて書かないでおく色々な理由があるのだが、職員は早くこの転換に慣れることだろう。でないと、市長が笛を吹くだけのピエロになってしまう。
 ◎柴谷さんがやろうとしていることは、大小の違いはあっても東京都の石原慎太郎に通じるところがある。自分の主張を広く世論に訴えかけ、その賛同を背景に、行政機構や議会とてなびかせてしまうカリスマ性が柴谷さんに持てるかどうかは未知数だが、まだ府会議員時代の柴谷さんに話したのは、市長になりたいから市長選に出るのでなく、これをしたい、あれをしたいと言う主張を実現するためになる市長であって欲しいということだった。
 ◎少なくとも、就任以来柴谷さんは、自分がやりたいと思うことを、やるべきだと信じていることを果敢に実行している。その意味で慎太郎に通じるというのであって、勿論、彼が正しいと思うことが、全ての人が正しいと思うことでないのは言うまでもなく、反対意見にも当然正当な主張はある。
 ◎柴谷市長の指示で変革してきたことは結構たくさんある。これまで当たり前に行われてきたことを変えるのだから、それには異論があるのが当然で、よかったよかったとは多くは言わない。成人式や年賀交例会の会場変更の是非、補助金受給団体の情報公開の基準、さらに人事が絡むと益々感情論がむき出しになった反発が出る。
 ◎一例をあげれば、チャオの社長の交代。経営危機の会社を立て直すのになんで労働畑を歩いてきた野津さんや、という批判は強い。野津さんのシンパでさえ、やめといたらよかったのに、と気の毒がる。市長の思いは、今のチャオにまず必要なのは思い切ったリストラだ、労働運動をしてきた人間だからこそ首を切られる側の気持ちが理解できるんだという主張である。野津社長の断腸の思いの人員整理の手記を読ませてもらった。本人の了解を得ていないから載せないが、ここに掲載したいほどのものだった。市長は自らの決断が正しかったと胸を張るが、氏の経営手腕はいまだ未知数で依然風当たりは強い。じゃあ、誰がやればできるんだ?と問われてこの人ならと言える人がいるだろうか。
 ◎どっちにしても誰かを選ばねばならない決断を託されたのが選挙で勝った彼の責任なのだ。結果失敗であれば、物言わぬ多数の支持は自然失われて行くのはやむを得ない。それを恐れては、「市長をやりたいために市長になっただけの人」になってしまうから、無失点でもつまらない。慎太郎とは程遠い。相撲の土俵に上がりたがってる金魚知事の方に近づいてしまう。まだよく知らないが、青島とノックでいい勝負だった東京と大阪は知らぬ間に随分差が付いたね、といいたいが、これは余談。
 ◎だから柴谷さんにはいまの姿勢を突き進んでもらったらいいのだが、その上で敢えて願うのは、自らの主張を直接市民に訴えかけ納得させてゆく政治家の本分を失わず、その上で取り巻きに頼らずに敵も味方もなく幅広い建論に耳を傾ける懐の深さを持ち続けて欲しいということである。意見を求め、たとえ反対意見であっても言ってもらえることこそが期待の表れなのであり、政治家がもっとも重視しなければならないことなのだ。