上方浪曲ニュース最新号
2004.9
 幸いってん五周年記念公演
 浪曲、歌謡曲、音頭を披露

 デビュー五周年の幸いってんが、九月二十五日道頓堀ゑびす座で「皆さまのお陰でしゅねん五周年」記念公演を開催した。
 いってんは九十九年三月二代目京山幸枝若(当時福太郎)に二十五歳で入門、十二月ワッハ上方の京山一門会でデビューした。唯一の二十代の新人として周囲の期待を一身に集め、早々とNHKテレビに出演するなど五年間に目覚ましい活躍を続けてきた。
 この日は、故郷の淡路島から貸し切りバスで大挙応援に来た後援会などで場内は満員の盛況。いってんの五年間の成長ぶりに目を細めて声援を送っていた。
 ゲストには、真山一門から誠太郎、春野一門からココが出演、三味線も一風亭初月が勤め、若手ばかりの浪曲競演で幕を開けた。歌謡ショーでは真っ赤なスーツに身を固めてさながらアイドル歌手ばりで演歌を歌い、師匠の京山幸枝若や、師匠の伯母にあたる華ゆりらが応援に駆けつけた。

 没後二十三年の京山幸枝司
 幸枝栄一門が偲ぶ会開催

 京山幸枝栄と一門の宗若と幸枝丸が、京山幸枝司を偲ぶ会を九月三十日道頓堀ゑびす座で開催した。
 幸枝司は、初代幸枝の門下として、女流ながら侠客ものを得意とし、戦前幸枝会女流団の中核で活躍した人。戦後は長く舞台を離れ、四十年代に復帰したが、昭和五十七年六十七歳でなくなった。
 幸枝栄は、戦前入門し、京山明美を名乗っていた。
 偲ぶ会は、幸枝栄の弟子の宗若らが開催を計画したもので、ゲストに京山倖若を招いて開いた。幸枝丸は「寛永三馬術」、宗若は「藤堂高虎」を読み、倖若は幸枝司も十八番にしていた「会津小鉄」で故人を偲び、幸枝栄が師匠譲りの「子別れ三度笠」を披露した。

 天中軒月子後援会バス旅行
 総勢八十人で伊豆長岡温泉へ

 天中軒月子の後援会は、十月三日恒例のバス旅行を実施。総勢八十名がバス二台に分乗して、伊豆長岡温泉ヘ出かけた。
 後援会名物の宴会では、相撲甚句やゲストの芦川淳平の唄、月子の歌謡ショーに続いて、会員らがそれぞれ趣向を凝らした仮装で隠し芸を披露、唄って踊って和やかに過ごした。

 大林静子師 急死

春野百合子の曲師大林静子さんが平成十六年九月二十八日亡くなった81歳だった。ゑびす座の道頓堀なにわ節亭九月公演で泉和子の伴奏を務め無事千秋楽を勤めあげ、帰宅後自室で横になっての大往生だった。記事別項 芦川淳平評論集6

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