上方浪曲ニュース1月号
2000.1
二十代の新人久々のデビュー

幸いってん一門会でお披露目

 京山福太郎門下の幸いってんが、昨年十二月十九日ワッハ上方で行われた京山一門会でデビューした。

 一門会は、京山幸枝栄、福太郎、幸若、幸枝丸、幸栄の一門に、三原佐知子と真山広若が応援出演、昼夜にわたって浪曲と歌で堪能させたが、今回の注目は、昨年三月京山福太郎に入門した幸いってん(本名・津井優一=25才)のお披露目。

 初舞台がお披露目公演という異例の扱いになったいってんだが、出身地の淡路島からバスを連ねての応援団は言うに及ばず、久々の若き新人登場に湧く会場のファンの熱い期待を集めて、「雷電初土俵」を一生懸命かたりあげた。

 いってんは、昭和四十九年一月十九日、兵庫県津名郡津名町生まれ。父親が熱狂的な幸枝若ファンで、勝若という名前を貰って自分でも老人ホームの慰問に回るほどだったこともあり、子供の頃から、幸枝若の歌や浪曲に親しんで育った。中学三年ぐらいには、自分も幸枝若の弟子になって浪曲師になろうと意識し始めていた。洲本市にある柳学園高校では、学内の文化祭でテーブル掛けをかけて「瞼の母」を歌って校内の人気者になった。幸枝若からも高校を卒業したら入門させてやると言われていたが、平成三年彼の卒業を待たず幸枝若が亡くなってしまった。

 生きる目的を失った優一だったが、腕に職を付けておこうと尼崎市の調理師学校に入学して調理師免許を取った。卒業後淡路島へ帰って一宮町の第三セクター、ハーブ園に就職、特産品の販売やレストランの主任として五年間勤めた。

 その間、町内の老人ホームや、お年寄りの集まりなどで得意のノドを披露したところ、「また来年も」という声援を受け、芸の道を天職としたいという情熱がふつふつとたぎってきた。三味線を頼んでいた藤信初子に相談し、仕事をきっぱり辞めて、福太郎に入門したもの。

 浪曲師らしからぬ「幸いってん」という名前をつけた福太郎は、「紅一点にというように、雑魚ももろこも数多いる芸界の中でひときわ輝く存在になって欲しいという思いと、当面は浪曲だけに固まってしまうのではなくでなく何にでもチャレンジできるマルチタレント担って欲しいという願いから、浪曲師らしからぬ名前をつけました。本人が将来浪曲一本でゆく気になったら京山を名乗ればいいと思っています」と、掛ける期待を語っている。

 初舞台を終えたいってんは、「緊張する間もないくらい何がなにやら分からないまま終わりました。でも全然ダメだったでしょうね。これから勉強するのみですが、目標は同年代の人に聞いてもらえるような浪曲をやりたいと思っています」と語っていた。

 いってんは、まじめで礼儀正しく、裏方の手伝いも熱心にしていることもあって、楽屋うちの評判もよく、他の芸からの転職組ではない、しかも久々の二十代の新人デビューに、関係者の期待は高まっている。

◎浪界日誌

 12月 23日■ファンとともに年末懇親会

 親友協会恒例の忘年会が、寺田町月華殿で開かれ、協会員とファンら約百名が集い、和やかな語らいのときを過ごした。

 1月8日■協会新年初理事会

 親友協会の初理事会は事務所開きを兼ねて、港区の魚住で開催された。この店主人、故宮川松安師の門人だった人で、築港高野山での協会行事にはいつも差し入れなどで世話になっている。

 1月10日〜12日■一心寺寄席

 出演は、真山一郎、筑波武蔵、泉和子、天光軒満月。えべっさんと成人の日が重なったこともあって、初日は今年の初席にふさわしい大入り満員となった。


1999年の上方浪曲ニュース保存版