上方浪曲ニュース1999
1999

1999.12

 国立文楽劇場で「太閤記」
 四郎若進境著しくトリの貫禄

 毎年師走恒例の国立文楽劇場浪曲公演が今年も十二月四日開催された。

 もっとも今年は、同劇場の十五周年という事で、劇場側の意向により、浪曲三席に講談、落語を交えての「太閤記」特集。落語から林家小染、講談から旭堂小南陵が出演し、浪曲は春野ココ「矢矧の橋」、筑波武蔵「三日普請」、松浦四郎若「秀吉の報恩」の三席。

 浪曲が三席だけの一回公演ということもあって、今回は随分空席が目立ったさびしい入りだった。例年満席に近くなるこの公演なのに、かかることになったのは、主催者の企画ミスに他なるまい。

 十二月の文楽劇場公演は、朝日座なきあと、親友協会にとって五座の櫓からは離れたとはいえ、年に一度の道頓堀の大会と位置付け出演者も気合を込めていた興行だった。それでも当初は、劇場になじみが薄いということもあって朝日座のような入りにはならなかったのだが、十年あまり地道に取り組んできた結果、ようやくファンにも認知され、ここ数年はほぼ場内を埋める客入りが定着してきた。

 そこへ何を血迷うたのか、にわかに降って沸いたような路線変更の今回の中途半端な企画である。当初から親友協会では理事会でも疑問視する声が上がったが、主催者である劇場のたっての要請で今回は黙って協力しようということになった経緯がある。ファン心理としてどんなにいいメンバーを並べられても、三席では、年に一度の浪曲大会としてわざわざ日本橋まで足を運ぶ気にはなれないだろう。一心寺の方がまだ一人多いじゃないか、と思うのも当然だ。客入りが悪くて損しようが担当者の腹が痛まないお役所仕事の典型のような思い付きの愚行が、折角恒例の公演と認知したファンの信頼を裏切り、これまで積み重ねてきた劇場関係者、浪曲協会の努力を水泡に帰しかねない影響を及ぼすということを猛省していただきたいものだ。

 それはさておき、客席の寒さを補って余りあったのは、三人の出演者の熱演だった。

 春野ココは、大劇場初出演で緊張しながらも、矢矧の橋を健気に精一杯語っていたことは、観客に好感を持って迎えられたはずだ。

 筑波武蔵は、九月に病に倒れ、この日が復帰初舞台。そういう痕跡も見せず、いつもの筑波節で完全復調を宣言した。

 トリを取ったのは松浦四郎若。責任感の強いこの人だけに、きっちりと公演を締めくくった。それにしてもこの日の四郎若の出来はすばらしく、三味線の藤信初子もその気合に引かれたように冴えた音締を聞かせた。「秀吉の報恩」は、脚本の名文句をまじめに語りあげれば、何ら気をてらうことなく受けるように練り上げられた広沢瓢右衛門の名作中の名作だ。ただ誰がやっても良いというのではなく、このトリネタを語るにふさわしい貫禄のあるものがゆとりを持って、気合を込めて、語ってこそ生きる作品だ。この日の四郎若には、まさにそれが備わっていた。

さらに練り上げれば、四郎若の代表作となると信ずる。大阪では芙蓉軒麗花、東京では五月一朗に受け継がれ、それぞれの代表作になっているこの作品、この後を引き継ぐ資格を持った浪曲家が、やっと現れたことに、泉下の瓢右衛門も目を細めていることだろう。

1999.11 

 国立演芸場を大阪にも
芸能四団体が誘致委員会

 大阪にも国立演芸場を建設してほしいと、浪曲親友協会、上方落語協会、関西演芸協会、関西芸能親和会が集まって国立上方演芸場設立促進委員会を設立し、十一月三十日大阪市中央区の薬業会館で発会式を開いた。

会長には露の五郎が就任、親友協会からは、真山会長が副会長に、広沢駒蔵副会長が会計に中田萬夫事務局長が委員に就任した。

 おはよう浪曲録画終了

 七月から始まった朝日放送テレビの「おはよう浪曲」の収録が、十一月二十九日無事終了した。最終回は春野美恵子「お夏清十郎」、国本武春「紺屋高尾」「英国密航」、天中軒月子「佐倉義民伝」に、真山一郎が新作「三つ巴子連れ旅」で締めくくった。

 二月はじめまで順次放送され、その後は、以前の録画分を再放送する。次回の収録は、来年の暮れの予定。

 吹田で素人浪曲発表会

 十一月二十一日、吹田市メイシアターで最近では珍しい素人浪曲発表会が開催され、天狗連の自慢ののどを披露した。

 この発表会は、京山福太郎が指導する浪曲教室の生徒たちがこれまでの稽古の成果を披露したもので、ホールは立ち見まで出る満席、素人とはいえ、三十年の年季を重ねた会員もいて、舞台度胸は満点、玄人はだしの熱演に場内は沸いた。

 出演者と演目は次の通り。西野光彦「石松の最期(河内音頭)」、川誠一「破れ太鼓」、森田文造「玉砕硫黄島」、高松顕城「千人坊主」、高島隆子「一本刀土俵入り」、池田泰則「吉良の仁吉」

 最後に模範口演した講師の福太郎の「武蔵屋新造」もいつになく気合がこもっていた。

 一心寺の音楽芝居「ザ・忠臣蔵」
 国本武春が色部又四郎役で出演

 NHKの大河ドラマ元禄繚乱に宝井其角役で出演していた国本武春が、大阪で上演された音楽芝居「ザ・忠臣蔵」に出演、お得意の三味線弾き語りで忠臣蔵の狂言回し役を務めた。

 この芝居は、親友協会が毎月寄席を開いている一心寺シアターで十一月八日から十四日までの五日間に八ステージ上演されたもの。落語(桂小春団治・桂小米朝)、狂言、浪曲、ロック、前衛音楽などの異ジャンルのアーティストがそれぞれの持ち味を生かしながら忠臣蔵という一つの芝居を作ってゆくという実験的舞台。吉良役に小春団治・小米朝がダブルキャストで当たり、武春は棚読みと上杉の家老色部又四郎役を務めた。様々なジャンルとの交流を通じ人脈と芸の幅を広げている武春ならではの取組みだった。

 春野百合子に勲四等宝冠賞
 大和之丞以来34年目晴れて親子受章

 秋の叙勲で親友協会前会長春野百合子に勲四等宝冠賞が贈られた。

 百合子は昭和二十三年八月十九日道頓堀中座の浪曲大会で初舞台、同時にこの舞台が二代目百合子襲名公演だった。以後五十一年間浪曲を一筋に戦後浪界を支えてきた。紫綬褒章、文部大臣芸術選奨、芸術祭優秀賞はじめ、賞という賞は、この人のためにあるのかと思うほど総なめにしてきた。不断の努力に支えられた百合子の芸の卓越した輝きがひときわ抜きん出ている所以であろう。その集大成とも言える勲四等宝冠賞は、親友協会副会長会長として長年浪曲界に貢献してきた功績によるもの。

 関西浪界では、百合子の父二代目奈良丸吉田大和之丞(昭和四十一年)以来、三代目奈良丸、二代目幸枝に次いで、四人目の受章。親子での受章は浪界でははじめてのことで、奈良丸・百合子がまさに浪界きっての親子の大看板ということを改めて示した。

1999.10 

 京山幸栄の名披露公演
 一門助演で盛り上げる

 京山幸栄が、10月24日、地元の富田林市民会館中ホールで名披露公演を開いた。

 幸栄は宮崎県串間市生まれ。大阪へ出てきて看護婦を務めながら、昭和58年から民謡を趣味で習い始め、その後、河内音頭・江州音頭等にも出演していたが、平成6年京山幸枝栄に入門、京山幸栄と命名され平成7年5月国立文楽劇場で初舞台を踏んだ。近鉄劇場、一心寺寄席等に出演している。伊勢の宿・藤堂高虎・乃木将軍・三勝半七・甘酒茶屋・三日の娑婆などを読む。

 この日の公演は、師匠の京山幸栄、同門の幸枝丸、京山一門の福太郎が助太刀して、浪曲あり歌あり、音頭ありと三時間以上にわたる盛りだくさんなプログラムで幸栄の独り立ちを励ました。

 口上では、福太郎が、新しい浪曲の仲間が一人増えたことを喜び、歓迎しますとのべ、幸枝栄は、師匠といっても姉妹のようなもの共に浪曲を勉強してゆきたいと挨拶した。幸栄は「乃木将軍の盲目軍曹」を力一杯の口演でいっぱいの観客から祝福を受けていた。

 中座最終公演に義士会
 昼夜満員で名残の舞台

 10月いっぱいで閉館した道頓堀中座で、最後の最後10月28日、民音主催で浪曲大会「義士撩乱」が昼夜にわたって開催された。

 真山一郎、春野百合子が昼夜とも出演、昼は、奈良丸「殿中刃傷」、小円嬢「赤穂の人妻」、真山一郎「冥途の早駕籠」、京山福太郎「垣見左内」、春野百合子「大高源吾」。夜は、真山広若「刃傷松の廊下」、四郎若「城明け渡し」、百合子「高田の馬場」、広澤駒蔵「大石書損の軸」、真山一郎「南部坂」と言う演目。

 なかでも百合子は、初舞台が中座での自らの二代目襲名公演だっただけに、お別れ公演に感慨もひとしお、昼は父譲り、夜は母譲りとネタを読み分け、ここにはじまった半世紀の浪曲生活に1つの区切りをつけた。

1999.9

 中村美律子が歌謡浪曲のCD発売
 初のオリジナル脚本「桂春団治」も

 売れっ子演歌歌手の中村美律子が、歌謡浪曲四編を収録したCD・カセットを出した(東芝レコードTOCT-24205 三〇五九円)。収録されているのは「壷坂情話」「瞼の母」「お夏清十郎」の既発表三作に加え、新作の「桂春団治」。

 前三作は、これまでの浪曲脚本をアレンジしたものだが、「春団治」は、美律子にとって初めての書き下ろし脚本(芦川淳平・作)に京山幸枝若のヒット曲「浪花しぐれ」を挿入したオリジナル作品。意気のいい大阪弁がポンポン飛び出す軽妙さと人気の陰でなく女の哀しさを対照的に盛り込んでいる。節付けはいづれも師匠の春野百合子。なお「瞼の母」は、これまでライブ版だけの発売だったが、今回改めてスタジオで吹き込み直した。

 中村美律子は、前名の小松みつ子時代、河内音頭・歌謡歌手から、昭和六十年十月春野百合子に入門、浪曲師としての初舞台を六十一年三月二十三日天満橋府立労働センターに於ける浪曲大会で踏んだ。この時の演題が、今回歌謡浪曲にアレンジして収録している「お夏清十郎」だった。百合子に入門した日、このネタの台本とテープを渡され「一カ月で覚えてきなさい。さもなければ見込みはない」と申し渡された作品だ。当時「歌や音頭はだんだん卒業して、年をとるにしたがってじっくりと読み込んでゆく浪曲にウエイトをおいて行きたい」と抱負を語っていたみつ子だが、その翌年、現在の太夫元・シン音楽事務所の富田社長に認められ、中村美律子と改名して、歌手として売出した。浪曲の舞台からは遠ざかっているが、今も親友協会に籍は置いている。

 もとより百合子の浪曲を聴いて、歌や音頭にない味わい深さに惚れて弟子入りした中村だけに、浪曲芸への思いには変わりなく、これまでもステージでは歌謡浪曲を披露してきた。今回は新しいレコード企画として、美律子自身が積極的に歌謡浪曲集の製作を希望し、これまでの三作に加えて、ショウの中で台詞入り歌謡として歌ってきた「浪花しぐれ」の歌謡浪曲化を計画し、芦川に台本を依頼したもの。

 シン音楽事務所中村美律子のホームページ

 http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~s-music/main_fl.htm

 熱演続きのNHK東西浪曲大会
 百合子、父に捧げた「大高源吾」

 恒例のNHK東西浪曲大会が、9月18日、改装なった厚生年金会館芸術ホールで開催された。

 この大会は、NHKテレビの公開録画を兼ねて、NHK厚生文化事業団が心身障害児のためのチャリティー公演として有料で開催しているもの。

 今年の出演者は、真山広若、京山小円嬢、松浦四郎若、広澤駒蔵、玉川福太郎、春野百合子。

 この大会初出演の真山広若は師匠真山一郎の十八番「刃傷松の廊下」を熱演、師匠の一郎も歌謡浪曲としてはまだNHKではやっていないという自分の一番金になるヒット作品を弟子の広若に演じることを許可したのは、何とか広若に浪曲界の次代を担う看板に育ってほしいという親心からだが、広若もよくこれにこたえて熱演した。

 京山小円嬢は、天龍三郎から譲り受けた「改心亭」。山県賢夫人と三悪人という新物を久しぶりに好演した。以上の二人は衛星浪曲特選で放送される(放送日未定)。

 松浦四郎若は、師匠四郎のこれまた十八番「相馬大作〜神宮寺川の二代目討ち取り」を口演。松浦節の一番受けるネタで、早くから四郎は四郎若にやることを勧めていたが、お家芸を下手にやって傷付けたくないという四郎若らしい生真面目ぶりでなかなかやろうとしなかったもの。昨年なくなった師匠に届けとばかり挑戦した。

 広澤駒蔵は、芸道五十周年の記念の出演を十八番「水戸黄門〜瓢箪屋」で手堅くうけた。以上の二人はNHK総合テレビの東西浪曲特選で放送予定(放送日未定)。

 東京から一人のりこんできた玉川福太郎は、みね子夫人に加え弟子美穂子の二丁三味線で、「梅ヶ谷江戸日記」を語った。ネタが大阪から東京へのりこんで苦労した梅が谷の話だけに、観客も関東浪曲の福太郎にいつも以上の声援を送っていた。ネタの選択の勝利。

 トリの百合子は、父大和之丞譲りの唯一のネタ「大高の笹売り」を、今年三十三回忌を終えた亡父にささげんと万感の思いで熱演した。普段の百合子のネタの運びと違った種類の作品だけに、演出には苦労したというが、功なり名遂げた百合子は、奈良丸のこの格調高い傑作を受け継ぐにふさわしい貫禄で好演した。万感胸に迫ってか、緞帳が降りた後は、涙ぐむ一幕もあったが、この作品がこれからの百合子を代表するように更に練り上げられるのは間違いあるまい。以上の二人は10月30日NHK総合テレビ「東西浪曲特選」で放送される予定。

 義士に始まり義士に終わった今年の大会は、演目の彩りも出演者の力の入り方もすばらしく、充実した公演となった。

●《浪界日誌》1999.9~10

 ■9月27日 ABCテレビ「おはよう浪曲」公開録画

 出演は、宗若、わか葉、駒蔵、幸枝栄、真山

 ■9月28日/10月4日 NHK浪曲特選 解説収録 BKスタジオ

 ■10月11〜13日 一心寺寄席

 第六十四回公演。出演は幸栄・幸若・幸枝栄・小円嬢。

 ■10月13日 八尾市郷土史講座

 「浪花節よもやま話〜浪曲の父・吉田大和之丞」講演・芦川淳平

 ■10月18日 ABCテレビ「おはよう浪曲」公開録画

 出演は、ココ、幸若、こう福、玉川福太郎、京山福太郎、三原佐知子

 ■10月19日 ABCラジオ「おはよう浪曲」公開録音

 出演は、五月一朗、日吉川秋水、京山福太郎 ほか 

1999.6〜8

 百合子第一回無学寄席に出演

 席亭鶴瓶と涙と笑いのトーク
 春野百合子は、6月26日、大阪・帝塚山に新設された寄席・無学のこけら落し公演に単独出演した。

 この寄席は、元笑福亭松鶴のすまいがあったところで、長屋の一軒。松鶴夫人が亡き後遺族が売却を希望し、門人の笑福亭鶴瓶が買い取った。

 かねてより寄席やライブホールを物色していた鶴瓶は、自らの内弟子修行の思い出のこの地を小さな寄席に改築したもの。わずか十九坪二間間口の小さな長屋が全面的に改築され料亭と見まがうような奇麗な小劇場が誕生した。

 席亭となった鶴瓶は「昔どこの町内にも小さな寄席があって、近隣の住民の交流の場でもあったそうです。そんな気楽な雰囲気の寄席にしたい。でも上演するものは、どこにも負けないようなもの、普通の商業劇場やテレビでは見れないようなほんものを見てもらい、記録して残しておきたい」と語っていた。

 売れっ子の鶴瓶が自分でやるだけに、当面は月一回の開演。落語はもちろん、音楽ライブなども企画するという。

 その記念すべき第一回の出演者に選ばれたのが、故松鶴とも親交が深かった浪曲の春野百合子。「何で一回目が落語やないねん」と人に言われるという鶴瓶のこだわりの証しでもあった。

 客席わずか六十。もちろん満員で、演台の目の前にお客の顔があり、二坪ほどの舞台では、曲師の大林とも鼻突き合わせるような満員電車の中みたいな有り様。

 百合子も、こんなところでやるのははじめて、といいながらも、「樽屋おせん」をきっちりと普段通り演じあげたのは、さすがこの人らしい舞台だった。

 浪曲の後は鶴瓶との対談。師匠松鶴のことや百合子の歩み、浪曲のあれこれをトークはお手のものの鶴瓶が聞き出し、百合子もついつい乗せられて、本音をポロリ。「お師匠さん。そこまで聞いてまへんがな」と言われて大爆笑することしばしばだった。

 初代ゆかりの斑鳩で奈良丸独演会

 五代目吉田奈良丸が、初代奈良丸頌徳碑がある奈良県斑鳩町で独演会を定期的に開催することになり、七月四日第一回が京山幸枝丸の助演をえて同町文化センターで開かれた。

 吉田家の総帥奈良丸の初代は、奈良県百済(くだら)村の出身。家業はたばこ問屋を兼ねる裕福な農家で、書や数学、詩歌管弦に通じ、長ずるに及んで好きだった浮かれ節で身を立てることを決意し、吉田音丸の門下となった。早くから台本の改良に務め、六十人をこす門人を育てた。中で抜きん出たのが浪曲の父と仰がれる二代目奈良丸で、芸にとどまらず読み書きから教えられた。

 孝心厚い二代目奈良丸は、大正四年六十五歳で死去した師匠の遺徳をしのぶため昭和三年法隆寺門前に土地を求め、立派な頌徳碑を建立、遺族に土地と共に贈った。

 近年斑鳩町が町史を編纂するにあたり、この碑の由来を調査し、小城利重町長の肝いりで縁を引く当代奈良丸に定期的な独演会の開催が依頼されたもの。

 一回目となったこの日奈良丸は「神崎東下り」を口演した。助演に京山幸枝丸が出演、「千人坊主〜甚五郎」を語った。

 京山幸枝若上方演芸殿堂入り
 奈良丸・鴬童に次いで三人目

 平成三年六月に亡くなった故京山幸枝若さんが、上方演芸の発展に寄与した芸能人の功績をたたえる大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方、大阪市中央区)の「上方演芸の殿堂」入りのメンバーに選ばれた。これは七月、選考委員会が選んだもの。平成八年の開館以来殿堂入りした上方芸人十五組のうち浪曲は第一回の三代目吉田奈良丸さん、昨年の梅中軒鴬童さんに続いて三人目。

 来年三月披露式が行われる。

 京山幸枝若さんは、大正十五年岡山県に生まれ、両親のもと子供の頃から浪曲師としての人生を歩んだ。最初、二代目京山幸玉に入門、後に初代幸枝門下に移り、幸枝若となる。戦後大阪で活躍し関西浪界の戦後を支えた。歌謡曲でも「会津の小鉄」などのヒット曲があり、協会会長も長く務めた。平成三年紫綬褒章を受章している。

 放送25周年の「おはよう浪曲」
 新シリーズの公開録画快調

 現在唯一の浪曲の定時テレビ番組、ABC「おはよう浪曲」の新シリーズ収録が快調にはじまった。昭和五十年に放送を開始して以来、今年で二十五年目に入った長寿番組。日曜の朝五時四十五分という早朝番組にもかかわらず、ファンの根強い人気に支えられている。

 新シリーズの収録は、七月十九日からABCホールに視聴者を招いて毎回五席づつ公開録画でおこなわれており、十一月までの五回に計二十六回分を収録する。すでに八月はじめからオンエアーされている。

 物故者「浪曲塔」に合祀供養
 高野山で奉納浪曲と盆踊り

 八月三十日、大阪市港区築港の高野山釈迦院で恒例の浪曲まつりが開かれた。

 これは、この一年間に亡くなった上方浪界の関係者を境内の浪曲塔に合祀し、地域住民やファンとともに供養の奉納浪曲と盆踊りで供養する親友協会恒例の行事となっている。

 今年は、東家菊栄(三月十七日没)、梅山和子二月二十三日没)両氏が、高野山寺僧侶の読経で浪曲塔に合祀された。合祀供養には協会員、関係者ら多数が参列し、故人の冥福を祈って焼香した。

 奉納の浪曲は、梅山和子の妹泉和子と、東家菊栄が長年合三味を務めた真山一郎がそれぞれ熱演した。

 夏の残り日がすっかり大阪湾に消え、夜の帳が降りると、境内のやぐらに灯された提灯のあかりに誘われ、近隣はもとより遠方からも踊り好きが集まり、浪曲人による河内音頭の盆踊り大会の幕が開いた。

 広澤駒蔵、京山小円嬢、三原佐知子、松浦四郎若、京山幸若、京山福太郎、真山広若、京山幸枝丸、春野美恵子が、入れ替わり立ち代わり取る音頭に、踊りの輪は夜が更けると共に広がりを増し、見物衆諸共ゆく夏を惜しんでいた。
 

●《浪界日誌》1999.6~8

 ■6月7〜9日 一心寺寄席

 第六十回公演。出演は奈良丸、満月、小柳、武蔵。

 ■6月11日 親友協会理事会

 八月三十日の浪曲まつりの開催要綱を審議。京山福太郎を実行委員長に選任。

 ■7月7〜11日三原佐知子中座に出演 

 三原佐知子は、七月七日から十一日まで道頓堀中座の「三門忠司特別公演」に昨年に続いて出演した。芝居では女親分役を気分よく演じ歌謡ショウにも出演。

 ■7月12〜14日 一心寺寄席

 第六十一回公演。出演は百合子、駒蔵、三原、広若。五周年還暦を迎えた一心寺寄席の記念公演。連日八十名をこす入場者で満席の盛況だった。

 ■7月28日親友協会理事会 

 大阪ミナミのミュンヘンで臨時開催。国立文楽劇場公演、一心寺公演など、下半期の事業について審議した。

 ■8月2〜4日 一心寺寄席

 第六十二回公演。出演は京山福太郎、松浦四郎若、泉和子、以下日替わりで真山鈴若、広子、日出男。

 ■8月27・28日NHK衛星TV「衛星浪曲特選」公開録画

 馬場町BK放送会館スタジオで、「衛星浪曲特選」の八席分収録。出演は、百合子、一郎、駒蔵、武蔵、佐知子、四郎若、宗若。

 これに、9月18日厚生年金会館で収録される小円嬢、広若の二席を加え、BS第二放送で五日間にわたって放映される(放送日未定)。

 ■9月6〜8日 一心寺寄席

 第六十三回公演。出演は京山武枝、長谷川公子、日吉川秋水、真山一郎。

 ■9月18日NHK東西浪曲大会

 四つ橋厚生年金中ホール。出演は百合子、玉川福太郎、駒蔵、四郎若、小円嬢、広若。