芦川淳平の浪曲関連評論集

夢を追いかけたローオンレコードと加藤さん

 浪曲狂の親父さんが、道楽昂じて作ってしまったレコード会社、ローオンレコード。業界団体に加盟しているわけでもなく、おそらく日本のレコード史の正史には残らない、いつしか忘れ去られる宿命のマイナーレーベルなのだろう。しかし、こと関西の浪曲界にとっては決して忘れられない歴史の一頁として記録されるべき存在だった。
 ローオンがレコードを出したのは、昭和四十年代半ばから約十五年間。この間約三百点の浪曲レコードをリリースしている。この時代に活躍したほとんどの浪曲師はこのレーベルに吹き込んでいる。当時メジャーレーベルが浪曲の新譜をほとんど出さなくなっていたときだけに、「浪曲専科」のローオンでしかレコード化されていない浪曲家も多く、今となっては貴重な記録を残してくれているのだ。
社長の加藤精一氏は香川県の出身。若くして大阪に出て裸一貫から建築関係を振り出しにメリヤスの叩売り、ラブホテルの経営・・、と時流をうまく掴んで、いろいろな事業に取り組んで財を成した立志伝中の人だ。
 そういう苦労人だけに、浪曲が好きで、昭和三十年代後半、身寄りのない年寄りや孤児たちを支援する日本慰老児援会という慈善団体を作り、四天王寺会館で浪曲公演を定期的に開催し、収益を大阪府に寄付した。これは浪曲の寄席が大阪から姿を消した当時、貴重な口演の場を提供することになり、加藤さんは浪曲界のパトロンとも言える存在だった。
 本日出演の三原佐知子、広沢駒蔵は言うに及ばず、京山小円嬢、広沢晴海、日吉川秋斎らの襲名を支援するなど、およそ加藤さんに経済的に世話になっていない浪曲人は少なかった。
 そんな加藤氏が、浪曲へのロマンを込めて作ったローオンレコード。吹き込みスタジオは倉庫兼用の一室。クーラーを入れるとモーター音が入るので、本番はエアコンを切って汗だくになって吹き込んだという。一般用のオープンリールテープ吹き込んだ音源を加藤氏自ら横浜の東洋化成という会社に持ち込んでプレスしていた。盤質は決して上等ではなく、「何べんかかけたら針が飛ぶ」と揶揄されたものだ。ジャケットは映画館の看板絵に金の箔押しという何ともいえぬキッチュな味わいのもので、各社盤が並ぶレコード店では一目でローオンとわかる効果があった。
 そんなローオンレコードの第一号吹き込みは富士月の栄「恋の八丈通ひ舟」。栄光のRA1001を刻んでいる。続いて港家小柳、春野百合子。この三人が二席づつ吹き込んだ第一回リリースにつづいて、新旧取り混ぜた多彩なラインアップを構成してゆく。叩き上げ社長のワンマン経営の会社ならでは、海賊盤まがいの際どい音源も平気で出版してしまうアバウトなゲリラ商法は、氏の歯に衣着せぬ言動とあいまって、時に物議をかもしながらもおおらかにレコードを出しつづけた。
 とはいえ、ローオンのトップスターはもちろん京山幸枝若だった。後には彼のハウスレーベルの観さえあったローオンに、幸枝若が入ったのは昭和四十八年。加藤氏にとってはまさに「待ちかねたぞ由良之助」の思いだったろう。テイチクとの契約切れを待って誘いに応じたのだが、幸枝若は生前「俺はテイチクで売れてきてこれからいうときやたったんや。世話になった加藤さんに来いといわれたら、断れんがな。舞台で義理人情歌ってるのに」と愚痴半分で語った。
 確かに幸枝若の言う一面は否定できない。しかし当時既にレコード会社は浪曲に対して冷淡になっており、テイチクでの浪曲師幸枝若に大きな見通しがあるわけではなかった。可能性はむしろ歌謡曲のほうへの比重を高めていくことだったろう。そう考えると、ローオンに入らざるを得なかった「不運」が、幸枝若の生涯を浪曲師としてすべてを出し切り、燃え尽きさせてくれたのだともいえる。なにしろ、幸枝若はローオンで全く自由奔放に七十九点にも及ぶ浪曲と音頭を発売している。
 新譜を吹き込むために先人のネタを貪欲に勉強し、意欲的な新作にも取り組んだのだから、幸枝若の浪曲に幅と深みをもたらした功績は、実にローオンにあったのだ。
 近代の芸能・浪曲は、明治以降次々に誕生した新しいメディアと深いかかわりをもって発展してきた。レコード、ラジオ、テレビ・・、これらの媒体の力が浪曲を増幅して津々浦々へ伝えていった。メディアもまた浪曲のおかげでその経営基盤を確立していった。やがて両者の互恵関係がもはや成り立ちがたくなった時代に、一人のパトロンが時流に逆らって作った浪曲専門メディア・ローオン。この存在は昭和の終わりの関西浪曲にとって大きな役割を果たし、やがて力尽きた。
 会社は倒産し、数年後加藤氏も世を去る。すべてを出し切ったトップスター京山幸枝若も、さらに数年後、後を追った。時代はひとつのピリオドを打った。
 しかし、数百の浪曲芸が、決して上質ではないレコード盤の中でいまも生き続けている。加藤さんは歴史に残る立派な仕事をしたのだ。

 (「ローオンレコードを知ってますか」2000.10.5 ワッハ上方公演パンフレット所収)