芦川淳平の浪曲関連評論集

三波節の集大成・気迫あふれる「俵星」ほか
60周年の三波春夫「浪曲CD」吹込みの意義


 芸能生活六十周年を迎えた三波春夫が、三十年ぶりに三味線一丁の浪曲を吹き込んだCD・カセットが発売された。演目は「一本刀土俵入り」「高虎白餅譚」「元禄名槍譜」の三席。曲師は沢村豊子。

 昭和三十二年歌手として華々しくデビューした三波は、間もなく「大利根無情」「一本刀土俵入り」などの台詞入り浪曲歌謡を、さらに浪曲を一節挟んだ「雲右衛門とその妻」「名月綾太郎節」などを発表、浪曲を生かした作品づくりに取組んできた。その成果が、十分程度の一曲の中に浪曲のエッセンスを凝縮した「俵星玄蕃」をはじめとする長編歌謡浪曲であり、三波の独壇場として、ほぼ年に一作の割で世に送り続けてきた。
 昭和三十七年の「曽我物語」から平成六年の「平家物語」収録の作品まで、全三十作に及ぶ長編歌謡浪曲こそ「三波節」三波浪曲なのであって、彼自身「つねに新しいものを創り続けたい」と後戻りすることを自ら戒めてきた。
 四十二年間の間にレコード化した唯一の例外が昭和四十五年、歌舞伎座出演十周年の記念盤として、浪曲師の一代記の芝居で演じた「南部坂」「壷坂」「神崎東下り」「紀文の船出」の四席を吹き込んだ「劇中浪曲集」だったわけだが、これとても、雲右衛門、綾太郎、奈良丸、鴬童という先人の芸風を三波流に語り上げるという意味合いがあった。ちなみにその前は、南條文若時代にコロムビアに吹き込んだ民謡浪曲「涙の須磨の浦」があるのみだ。

 その三波春夫が、あえて浪曲をレコード化した。片や歌手三波春夫の六枚組九十三曲入りCD全集を発売し、その一方で三味線一丁の浪曲を吹き込む、両者併せて、彼の六十年の芸道の集大成という位置づけである。
 演目の選択もよくその辺りを考えている。
 「藤堂高虎白餅譚」は南條文若時代の十八番だったという。洗い直したとはいえ浪曲家時代の三波の芸風が窺える作品だ。
 二つ目は、歌手になった三波の作品づくりの精神に大きな影響を与えた長谷川伸の作品から「一本刀土俵入り」。歌謡曲では三波のヒット曲として残っているが、「瞼の母」「沓掛時次郎」「関の弥太っぺ」を既に長編歌謡浪曲としても発表しているのに対し、本作ははじめて浪曲化した。マクラで自らの過ぎ来し方の口上を語り、最後は長谷川伸への敬詞で締めている。つまり歌手になってから得たものを材料に作り上げた浪花節だ。
 そして、この二つを繋ぐのが三席目の「元禄名槍譜〜俵星玄蕃と杉野十平次」だ。長編歌謡浪曲の「俵星」は昭和三十九年その名もずばり「晴れ姿三波節」と銘打って発表され、以後今日まで三波の歌謡ショウには欠くことの出来ないレパートリーとして歌い続けられている最も著名な代表作。しかも、そのオリジナリティーの証明に、他の誰もこの曲をカバーして歌いこなせるものは現れていない。時としてみるテレビの歌謡ショーの中で未熟な人気歌手がお遊びでやって歯が立つ曲ではなく、浪曲だけでも歌謡曲だけでも不十分で、完成された発声による歌唱力を要求される作品なのである。
 三波の著書によると、この作品の原点は、遠く少年時代に熱中した少年講談の読本にあり、さらに浪曲家になってから大阪で前田小錦という女流に貰った台本による出会いがある。「恋の絵図面取り」ではないが、このいきさつには、ほのかな青春のロマンスも嗅ぎ取れる。
 すなわち、「俵星」は、三波春夫にとって、少年時代から浪曲師、歌手と歩み続けた有為転変の人生そのものの中に重なり合って登場する因縁ある題材なのである。その重み故であろうか、ストーリーや詩文、表現力、描写力が更に練り上げられたその後の長編歌謡浪曲の作品群を凌いで、今尚大衆に圧倒的な支持を持って迎えられている。
 それほどまでの「俵星玄蕃」を、浪曲として、このCDに収めた意義は何か。六十年の記念碑?、原点への回帰?・・。三波春夫の心が何処にあるのかを確かめた訳ではないが、他の二席に比べて声、節使い、芸共に格段に力がこめられているこの作品をじっと聴いて私に伝わってきたものは、そのいずれでもない。
 「三波さんはやっぱり前を向き続けている!」その気迫が私に迫ってきた。
 以前ものした一文で、「三波春夫の目指すものは、浪曲とか歌謡曲とかいう既成のジャンル分けに縛られるものではなく、彼自身の独自の音楽ジャンルづくりだ。その完成を目指す果てしなき道のりこそ、歌謡芸術の王道である」と述べたことを思い出し、それが間違っていなかったことをこの「浪曲・俵星玄蕃」は示してくれた。
 総体には、甘い歌声は更に甘く、円熟を経たぶん角や刺がすっかり姿を消し、心優しさが満ちあふれた口演ではあるが、そこには浪曲時代に会得したフシと歌謡曲になってから編み出した数々のメロディが見事に溶け込んで、六十年の芸道で学び育んできた「芸」の集大成が「魂」とともに収められている。明らかに到達点と呼ぶにふさわしいものなのである。

 疑いもなく、我国固有の音楽芸術である浪花節において、好き嫌い、上手い下手、という聴く者の主観的な評価を超えた唯一の一流の証明は、オリジナルな基礎曲を確立したかどうかにある。すなわち、後世その作曲者であり歌い手である演者の名を取って、奈良丸節、米若節、秋水節、梅鴬節・・と、一般に認知されるものは、文句なく一流の大看板なのであり、あらゆる浪曲師はこれを人生の目標に励まなければならない。遠祖の創作した節調を踏襲することを旨とする伝統芸能と浪曲とは、目指す所が違うクリエイティブな芸能なのである。
 今日看板になっている浪曲家は、誰に言われるともなくそのことを当然の事として理解し、色々な先輩のフシから自分のフシを創る事を目指してきた。それが名を成す道であると信じて。戦前からの浪曲師であった三波春夫も、当然そのための努力の明け暮れてきたのであり、彼の場合は、その道を求める場が、浪曲界にとどまらず歌謡曲にまで広がったのだ。目指す道がそうである以上、与えられた詞と曲を歌い演じるという歌謡曲の原則には当然飽き足りない物を感じ、新しい節づくりのために次々に作品に取り組んできた。
 そして、長編歌謡浪曲で確立した「三波節」なのだが、これで十分一流の資格を勝ち取ったにもかかわらず、彼は更に挑戦を続けた。
 作り上げた三波節を、楽団や譜面の束縛から解放して、たった一人の生の肉声だけの純浪曲の方式の中で、フレキシブルでありながら普遍化した節調として確立させようと挑んだのではないか。意識的か無意識かは知らねど、ここに発表された千変万化の節調の中に、私はその心意気を見て取った。
 喜寿を迎えた三波春夫の枯れることない若々しさが、この「生命ある限り前を向いて創り続ける」姿勢にあることを、感動的に教えてくれるCDであった。

(テイチク発売 CD=TECE33134、カセット=TETE33134 各三三〇〇円)

(月刊浪曲2000,1月号所収)

◇ 参考WEB 三波春夫のホームページ  http://www.kashu.com/minami/