ラーホール城塞とバードシャーヒモスクに向かわずに西に進むと人通りが少なくなり、店が閉まっていてひっそりしている商店街に差し掛かります。日が暮れてから改めて訪れてみると、この商店街の本来の姿がわかります。ここはヒーラー・マンディ(Heera Mandi)と呼ばれる通りです。直訳すると「ダイヤモンド・マーケット」ですが、「ダイヤモンド」を売っているのではありません。
夜になると、城塞方面に向かう道とヒーラー・マンディとの交差点付近の道端におじさんが座っていて、その側にガラスのケースが置かれています。そのケースには新券の 1 ルピー札がぎっしり詰まっています。おじさんは両替屋です。高額の紙幣を渡すと 1 ルピー札に崩してくれるのですが、戻される 1 ルピー札の束は元の紙幣と同額ではありません。手数料が引かれています。なぜ手数料を払ってまで 1 ルピー札が必要になるかというと、この商店街のお店の売物が普通の意味での「品物」ではないからです。
夜になると店の扉が大きく開かれて中の灯りが通りに漏れてきます。覗いてみると、花嫁衣裳を簡略化したような姿の若い女性と楽器(主にタブラとハルモニウム)を抱えた男性が座っています。女性は足首に鈴をたくさんつけたアンクレットを巻いています。一つの店には男女それぞれが 2、3 人が居るようです。もうお分かりと思いますが、女性は「ダンサー」で、男性はダンス音楽の演奏者です。ダンスの種類としては、「カタックダンス」と呼ばれるものの範疇だと思われます。日本では「インド舞踊」の一種として扱われています。「Kathak dance」で検索していただければ、動画が見つかるはずです。
そのお店に客が入ると、扉が閉め切られて中の客だけにダンスが披露されます。客はダンスで盛り上がると懐から 1 ルピー札の束を取り出してばらまきます。 「121. ダーターダルバー」の下の方に掲げた画像のような光景です。ばら撒かれた 1 ルピー札がお店の収入になるようです。残念ながらというか当然ですが、写真は撮影できません。お店の商品としては「ダンスを見せること」だけです。ダンサーの衣装は体幹から襟元、手首まで、そして足首までをカバーしてます。「ベリーダンス」の衣装のように、ウエスト周りや脚は露出していません。ダンスの振り付けも風紀的に問題になりそうなものではありません。少なくとも表向きにはダンサーの女性が接客することはないようですし、お酒も無しです。日本の夜の街と比べればいたって健全です。
ヒーラー・マンディの夜のお店は全廃されたと聞いています。パキスタンではこの種の商売が存在すること自体を「恥」だと考える人が圧倒的に多数派です。おそらく公的な記録は存在しないでしょうから、直接知っている人がこの世から居なくなれば、完全に「なかったこと」になります。失われた「文化」の断片にすぎないものですが、備忘として私が覚えている限りのことを記しておきました。知合いにパキスタン出身の人が居たとしても、ここの話題は避けたほうがよいでしょう。ヒーラー・マンディを過ぎると、通りは開けた感じになり、Taxali Gate を通過して旧市街から出ることになります。Taxali Gate の城門は現存していません。