大倭日高見の国を、安国と定奉て、下つ磐根に宮柱太敷立、高天原に千木高知て皇御孫の命の瑞の御舎仕奉りて、天の御蔭日の御蔭と隠て |
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『大倭日高見(オホヤマトヒタカアミ)の国を、安国(ヤスクニ)と定奉(サダメマツリ)て、下(シタ)つ磐根(イハネ)に宮柱太敷立(ミヤハシラフトシキタテ)、高天原(タカアマハラ)に千木(チギ)高知(タカシリ)て皇御孫(スメミマ)の命(ミコト)の瑞(ミヅ)の御舎(ミアラカ)仕奉(ツカヘマツ)りて、天(アメ)の御蔭(ミカゲ)日(ヒ)の御蔭(ミカゲ)と隠(カクリマシ)て』 大倭日高見(オホヤマトヒタカアミ)の国とは、一大統一・一大調和の無限の無限の輝きで一杯!の国です。即ち最高番組・最高理想の世界・常楽我浄の世界です。 安国(ヤスクニ)と定奉(サダメマツリ)てとは、不動の中心に一大統一された一大調和の国と、しっかりと見定めて、ということです。 下(シタ)つ磐根(イハネ)に宮柱(ミヤハシラ)太敷立(フトシキタテ)とは、この地上に、神さまの全徳の無限の無限の輝きで一杯!の全大宇宙(宮)が、光の太柱として降り立つことです。実物(本物)の太陽は、地球から遠く離れて存在しているのです。その太陽の光が、地球の大気圏に入ると、乱反射を起こして、擬似光体としての太陽が生まれるのです。それと同じように、無限の無限の輝きで一杯!の姿・天照大御神・全大宇宙が、この地上に降り立つことです。その奥に、更にその奥にというように、無限の無限の輝きで一杯!の姿が、無限に無限に連なっているのです。その最深奥に、真実の天照大御神が、厳然と実在しているのです。 高天原(タカアマハラ)に千木(チギ)高知(タカシリ)てとは、高天原(全大宇宙)は入れ子構造の全大宇宙となって、無限に無限に伸展しているということを知って、ということです。即ち真実の高天原の縮図・模型として、この世の高天原が現れているのです。 皇御孫(スメミマ)の命(ミコト)の瑞(ミヅ)の御舎(ミアラカ)仕奉(ツカヘマツ)りてとは、皇孫即ち無限の無限の輝きで一杯!の玉体、即ち瑞々しい宮殿、即ち全大宇宙なのです。この皇孫の玉体の中には、八百万の神々即ち無限の無限の神々が奉仕しているのです。瑞々しいという言葉は、美しい・麗しい・素晴らしい・素敵な・生々発展の・新生する・無限に新しい・永遠に栄える・おめでたい言葉です。即ち宇宙は、一瞬一瞬新たに新生する、荘厳極まり無き姿なのです。 天(アメ)の御蔭(ミカゲ)日(ヒ)の御蔭(ミカゲ)と隠(カクリマシ)てとは、皇親は天の如くにすべてを抱懐し、日の如くにすべてに慈愛を投げかけているのです。皇親は常に、謙虚に謙虚に、蔭に蔭に隠れて、押しつけること無く、恩きせがましく無く、正体(姿)を隠して、守りに護り続けているのです。そして安国と平けく所知食すのです。お蔭様とは皇親(スメミオヤ)のことなのです。皇親のお蔭で、皇親の働きによって、全大宇宙のすべてのすべては、無限の無限の幸せ一杯!に生かされているのです。皇親の御恩に対しては、一瞬一瞬、無限の無限の感謝を捧げ続けても、まだまだ足りないものなのです。それほど多くの無限の無限の恩恵を与えられていながら、不平・不満・不足・愚痴を並べ立てるのは、無礼千万・万死に値する・逆鱗に触れる、傲慢極まりない態度なのです。 |
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