夜 疑 神 社


沿革と御由緒


 当社は弥生遺跡で有名な「天の川」のほとり、天の川低湿地の小高い所に鎮座しており、天の川沿いに池尻・大町小松里(こまつり)箕土路(みどろ)下池(しもいけ)()中井荒木吉井などの氏地内の各所で弥生遺跡が出土している。殊に池尻中井に於いては縄文遺跡も確認されており、時代が下って池尻を中心に古墳群、氏地内全域にわたって条里制の遺構がある。八木の地は肥沃で水利も良く、古くから拓けた所であった。「陽疑」「揚貴」「八木」などと表記されたこともあるが、いずれも「やぎ」と読む。鎮座地の「中井」は『和泉誌』に「旧名 中八木」と記されており、八木の中心=八木一族居住の本拠地であったと思われる。

当社の創建は定かでないが、延長5年(927年)成立の『延喜式(えんぎしき)』に「夜疑神社」と記されており、また主祭神の布留多摩(ふるたまのみこと)については、弘仁5年(814年)成立の『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく』に「八木造(やぎのみやつこ)和多罪豊玉(わたつみとよたまひこ)(こ)、布留多摩命の(すえ)なり。」とある。これらの傍証から、奈良時代以前にこの地を治めていた八木一族が祖神(おやがみ)をお祀りしたのが起源と考えられる。平成24年の社殿改築に先立って行われた埋蔵文化財調査では、弥生式土器や古墳時代の須恵器の破片が見つかった。また奈良・平安・鎌倉時代の古瓦も多数出土した事から、約1,300年前には神社としての建物が存在し、それ以前も祭祀が行われる特別な聖域であった事が推察される。旧来、当社は中井一村の氏神様であったが、明治41〜42年に八木郷の各村に祀られた氏神様を当社に合祀して以来、八木郷の総氏神様と成った。現在の氏子地域は中井町荒木町下池田町箕土路町西大路町小松里町額町額原町大町池尻町吉井町(各町の公営住宅も含む)と忠岡町北出忠岡町高月。氏子戸数は約1万戸。境内は約1,700坪。


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