世の中には、様々な空間がある。そして、そこに人が集まれば、場の空気というものが存在するようになる。ここでは、その場を支配する人について述べたいと思う。
どういう人が、その場を支配するのか?答えは、可能態において暴力を持った人である。どういうことかというと、可能態というのは、まだ暴力を発揮していないが、潜在的に、つまり、心の中で、そういう思いがあるということである。例えば、今、「携帯電話使ったら、ぶん殴ってやる!」といった思いである。人は自分の体や命に関してはあらゆるものを犠牲にするものだ。そうしないのは、真性クリスチャンぐらいで、ほとんどの人は自分の体や命のためにあらゆるものを犠牲にする。だから、当然、暴力的な人に従うことになる。こうして、その場で、一つの組織が出来上がる。ここで、一番幸せなのは、その暴力的な人である。なぜなら、そこには自由があるし、邪魔されることもないからである。それは、さぞかし気分がいいであろう。しかし、もし、その場で、自分より能力の高い人が出てくるとすれば、自分の地位が危ない。だから、そいつは、その能力の高い人を妬み邪魔をするだろう。これは、学校はもちろん、会社でも家庭でも起こりうることだ。
会社でいえば、「これこれこんなミスを犯したらクビにするぞ!」という思い等である。こういう思いを潜在的に持っている人が権力を持っていたら、その会社の空気は厳しいものになる。社員はミスを恐れ、慎重になるだろうし、緊張感が増す。また、プレッシャーというものも、そういう潜在的な思いを持った人が権力ある立場についている時にかかる。しかし、なんでもかんでも許すわけにはいかない。もし、そんなことをすれば、その会社は問題の多い会社になるからだ。こうなると、その会社は成り立たなくなる。だから、ある程度のプレッシャーというものは必要だ。しかし、これはダメ、あれはダメと、対症療法的に次々と制約を付けていったら、がんじがらめになって動きづらくなる。そうなると、社員の意欲は下がり、じゃあ、どうすればいいのだという思いが出てくる。ここで、その思いに答えてくれる会社とそうでない会社が存在する。そうでない会社は相変わらず、厳しい雰囲気が存在している。一方で、これに対して答えを与えてくれる会社がある。それは、目的をはっきりとさせることである。例えば、会社で言えば、社員もその上司も社長も「全てはお客様のために」という目的意識を持つことである。こうなると、その目的から外れる行為を犯した場合に、処罰が来るだけで、社員にしてみれば分かりやすい。また、社員はその目的を達成すればいいだけだし、他の人より頑張れば、褒められることもあるだろう。そうなれば、社員はどんどんやる気が起きてきて、会社全体が活気づく。まあ、これは理想だが、やはり、人々の心の中には依然として暴力的な思いがある場合が多い。お客様の前ではお客様の満足を考えて行動はしていても、裏では別の顔を見せる人もいる。まあ、会社の話はこれくらいにしておいて、次は、会社以外の場について議論したいと思う。
家庭においてはどうだろう?子供が他人に迷惑をかけたら、親に問題があるとされる。だから、親は子供に対して可能態において、あるいは、現実態において規制をかける。現実態においてとは言葉で直接言うことである。可能態においてとは、例えば、「ここで、お茶をこぼしたら許さん!」とかそういう思いである。家庭も会社と同じで、やはり、リーダーがいる。一般的には、大黒柱と呼ばれている。母親がリーダーなら、父親は妻(あるいは嫁)の尻にしかれていると言われるだろう。まあ、それは置いといて、世の中には、厳しい家庭と、そうじゃない家庭がある。厳しい家庭とは、会社の話でもあったように、いろいろな規制をかけてがんじがらめにしてしまうことである。それは、可能態なら、その家庭のリーダーが心にそういう思いを持っている状態である。例えば、「ここで、お茶をこぼしたら許さん!」という場合には、もし、子供が誤って、そこでお茶をこぼしたら、後で親が叱るように。これは、そのリーダーの規制が多い程、子供は窮屈になる。子供はその窮屈が嫌だから、あえて、その規制に反することをする。これが反抗期である。これで、親の規制が緩和されて規制が減るならいいが、世の中には頑固な人もいる。それはその人がやはり自分の親からそういう規制を受けてそれを守ってきたからかもしれない。いずれにせよ、反抗しても規制が緩和されないなら、その家庭にはかなりの問題があるといっていい。ある場合には、親が子供に罰を与えて子供に傷を負わせたりするケースがある。これは虐待と呼ばれている。これは最悪なケースである。つまり、行き過ぎた規制、あるいは、多すぎる規制はDV(ドメスティック・バイオレンス)につながるということである。そもそも、人は本質的に(英語で言えばnaturally(「自然に」)窮屈よりも自由を愛する。それは、動きやすいからである。これは生き物としての本能である。
ところで、理想的な家庭とはどういうものなのか?もちろん、みんな「幸せな家庭」というだろう。では、それはいかにして成し遂げられるのか?それは、家庭のリーダーにかかっている。会社の話でもあったように、子供にどうすればいいのかという目的を与えてあげることである。では、どういう目的を与えたらいいのか、それは、「自分にしてもらいたいことを人にしなさい」とか、「対面している相手(隣人)を愛しなさい」等が目的になる。とにかく、重要なのは、あれはダメ、これはダメと規制をかけるのではなく、また、何も規制をかけずにほったらかしにするのでもなく、適度な目的意識を与えてあげることである。この類の目的に関してはキリストの教えが素晴らしい。こうなると、宗教の話になるのでやめておくが、とにかく、家庭のリーダーが子供をがんじがらめにすれば当然ある程度の年齢になると、反抗したくなるし、逆に、規制をかけずにほったらかしにするといろいろ面倒なことになるということは事実としてある。
ところで、ごくまれに反抗すら許さない親がいる。そうなると、その家庭はどうなるか?答えはそのリーダーによる独裁政治である。こうなると、その傘下にいる子供やもう一方の親はその独裁政治の被害にあう。現実態なら、やはり、虐待、あるいは、DVになるし、可能態なら、精神的におかしくなる。いわゆる、心の病である。強制的に奴隷にされているといってもいい。果たして、こんな家庭が幸せなのかどうか?もちろん、人は自由を求める存在なので、幸せではない。これが、親がこどもを不幸にしてしまうという最悪のケースである。
最後に、ここまできたら、もうお分かりだと思うが、人間関係というのは現実に目に見える形だけで起きているのではなく、目に見えない可能態の世界でも起きているということである。だから、マインドコントロールは存在しないというのは誤りである。