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Yen-Xingのあばら屋 BSD物語長編外伝小説05 異世界放浪編
作者:あきたけ様

第01章  六門世界
第18話  『それぞれの決着〜ガーム=ゼインの場合〜』
 
 

 水を司ると言われる四大天使の一人、ガブリエル。一般的に天使には性別がないと言われているが、彼女は……そう、ガブリエルは確かに女性の姿形をしていた。もっとも、どうやら六門世界のほとんどの天使は女性型であるようだ。ただ、上級天使になるほどその姿形は人間とはかけ離れた物になると言うが。

「退がりなさい、人の子よ……」

 ガブリエルは伏し目がちにそう告げる。ガームはやれやれとでも言いそうな調子で首を左右にゆっくりと振り、それに答えて口を開いた。

「そう言う訳にもいかんのじゃよ。お前さんらがわしらを倒そうと言うのなら、わしもお前さんを倒さねばならんじゃろ? 老い先短い老骨とは言え、わしもあんなミサイルとやらで殺されるのは御免じゃて」

「……なるほど、道理ですね。では、私も全力を持って相手をしましょう。魔物を召喚すると言うのなら早くなさい。そのくらいの時間は与えましょう」

 軽く一振りした手にいつの間にか身の丈ほどもある質素な杖を握り、ガブリエルは伏せていた目をゆっくりとガームに据えた。エメラルドグリーンの、そのあまりにも邪気の無い視線に老人は一瞬怯んだが、引き下がることはなくその手を懐へと差し入れた。指先でぞろりと札を確かめ、何を召喚するのかを頭の中で組み立てる。

「汝、風纒い駆ける草原の子らよ! 我はガーム・ゼインの名に於いて汝らを今此処にに招請する者なり! “真の名”と血の契約に従い、速やかに彼の地より来たれ! 汝らが真なる名は……!」

 ガームは懐から札を抜き放ち、とても老人とは思えない肺活量で一息のうちに呪文を言い切った。放たれた符は空中にぴたりと固定されると、瞬時に燃え上がり、そこに『門』を造り上げた。一般に召喚術と言うと、この召喚プロセスそのものだと思われている。だが、単に召喚するのなら、ゲート系スペルと呼ばれるものでいくらでも魔物たちを召喚する事は可能なのだ。実際には“真の名”を用いた召喚は、これからである。ゲート系スペルを用いた召喚はいわゆる「喚びっ放し」であり、どちらかと言えばテレポーテーションの儀式スペルに近い。だが、“真の名”はその対象の存在そのものであり、その存在の在り様を定義するものなのだ。故に“真の名”を掴まれ、支配された対象に自由意志という者は既に存在しないことになる。極めれば神や魔と呼ばれる存在であれ支配できると言われているのも、このためである。

 ガームの額に、脂汗が浮かぶ。“真の名”を掴む事はそのこと自体が戦いでもあるのだ。他の者から見ればほんの数瞬のことだが、彼にとっては数分にも及ぶ精神の戦いに打ち勝ち、開かれた『門』から次々と影が飛び出してきた。鍛え上げられた人の上半身に、しなやかな馬の体躯。顔や体にペインティングを施し、露出の多い、ほぼ半裸とも言って良い独特の衣装をまとった彼らは、〈風〉を象徴する魔物の一種である、ケンタウロスたちだ。

「ケンタウロスの奇襲部隊に騎兵隊……それに、ワールウィンドの騎兵隊長ですか。私を早さで圧倒しようとでも?」

「そう言うことじゃの。じゃが、それだけではないぞ。奇襲部隊、これを使うんじゃ!」

 ガームはどこからともなく黒塗りの巨大な弓を取り出すと、ケンタウロスたちの一人に放り投げる。これはブラック・ライトニングと言う魔弓の一種で、常識では考えられない早さで弓をつがえられる他、その名の通り電撃を発生させて装備者の攻撃力を上げる効果も持っている。ちなみに先ほど、どこからともなくと表現したが、当然この弓も召喚されたものだ。意志を持つ魔物たちを召喚するのとは違い、マジックアイテムのたぐいは仕舞ってある物を取り出す感覚で、比較的簡単に召喚できる。

「行け!」

 ガームの号令と同時に、ケンタウロスたちは手にした槍やランスを構え、一斉に突撃を開始する。充分に勢いの乗ったランスチャージの一撃は、分厚い板金鎧ですら容易に貫通する。まして、ケンタウロスたちは元々自分が生まれ持った能力として強靱な足腰を有し、それを生かした技術を磨いている。その威力たるや、巨象すらも一撃で打ち倒すほどだ。相手が人間ともなれば、言わずもがなである。

「蛮勇と本当の勇気の区別も付かないようですね。私に向かって突撃するなど、愚策以外の何物でもありません」

 ガブリエルはケンタウロスたちを一瞥すると、口の中でほんの二言三言、力を持った言葉を転がす。だが、それを見て取ったケンタウロスの一人が、目にも留まらぬ早さで腰の矢筒から矢を取り出し、間髪入れずに弓につがえたそれをぴょうと放った。魔弓から放たれるそれも、当然ただの矢ではない。……だが、それがガブリエルに命中したその瞬間、彼女の姿はまるで幻影のようにかき消え、その代わりに今まで何もなかった空間に突如として大量の水が現れた。そしてそれは凶悪なまでの勢いで鉄砲水となり、ケンタウロスたちへと襲いかかる。
 たかが水と言えど、これほどの勢いともなれば破城槌の一撃にも等しい衝撃を与えることとなる。怒濤の流れに押し流され、ケンタウロスたちのほとんどが息絶え、あるいは再起不能となっていく。魔弓を携えたケンタウロスも、自らの身に何が起こっているのかすら理解できない内に奔流に意識を刈り取られた。

 だが、数体のケンタウロスはその流れさえも乗り越えてガブリエルへと突進していく。まさかあの流れを越えられるとは思いもしなかったのだろう、彼女は一瞬目を見開き驚愕の表情を浮かべた。が、すぐに口内で呪を紡ぎあげ、解き放つ。それを阻むべく召喚された魔弓もすでに失われ、彼女の呪文は遅滞なくその効果を発揮した。そして、それによって現れた水の膜によってケンタウロスたちの決死の一撃も阻まれ、彼女に届くことはなかった。

「……下がりなさい!」

 鋭い呼気とともに吐き出されたガブリエルの一喝に、ケンタウロスたちは一瞬怯えたように後ずさる。続いて強かに杖で打ち据えられ、彼らは間合いを離すべく後退を余儀なくされた。近接した状態では、彼ら得意のランスチャージも役には立たない。

「水の加護を纏う私に、魔力を以て傷を付けることはできません……。実力の差がわかったのならば、速やかに下がりなさい、人の子よ。いずれ鉄槌が下るとはいえ、この場は見逃しましょう。短い余生をわざわざ無駄にすることは無いでしょう」

「……言ってくれるのぉ。じゃが、魔法で倒せないと言うのなら、こちらにもまだ手はある」

 支配し、共感していたケンタウロスたちのダメージをフィードバックされ、ガームはぜいぜいと荒い息をつきながらもそう言って懐に手を差し入れた。それを見たガブリエルの秀麗な眉が一瞬きゅっと寄せられ、しかし、すぐにそれは元の位置へと戻る。

 と、予備動作無しに再びガームの指先から符が放たれる。先ほどケンタウロスを召喚したときよりも遙かに短い呪文詠唱に続いて開かれた門からは、14,5歳の儚げな雰囲気の少女が三人現れた。一見ただの人間にも見えるが、その周りにはキラキラと小さな雪の結晶が舞い散り、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 その少女たちを見て、ガブリエルの表情が怪訝そうなものになる。

「……スノー・ホワイト? そんな者たちを喚んで、私に対抗できると思っているのですか? 私に魔力は通用しないと言ったはずです」

「なに、亀の甲より年の功……見ておると良いわ」

「良いでしょう。そこまで言うのでしたら、私の手で葬ってあげましょう」

 言いながら、杖を振り上げ、再び戦闘態勢にはいるガブリエル。ケンタウロスたちもランスを構え、突撃の体制へと入る。だが、それと同時に、スノー・ホワイトたちが素速く呪文を紡ぎあげた。天使はそれには全くかまわず、ケンタウロスの突撃にカウンターを加えようと身構えた。

「……!? ヘイストを私に!?」

 呪文が完成した瞬間、自らの体が自分の意志よりも遙かに敏捷に動くことに気づき、ガブリエルが戸惑いの声を上げる。突撃に備えて放とうとしていた激流を止め、彼女は戸惑いながらもケンタウロスたちへと打ちかかる。一体のケンタウロスが脚に強打を受けて身動きできなくなったが、多勢に無勢、ガームまでは到底届かない。

「何を考えているのです? 確かに、近接すれば私の激流を防ぐことはできるでしょう。しかしこの間合いではケンタウロスたちのランス・チャージも意味がありませんよ? もっとも、それがあってもプロテクションを打ち破ることはできませんが」

「果たしてそうかの? リターニング・ウェイブじゃ!」

「なっ……」

 ガブリエルが驚きの声を上げる間もなく、ヘイストに間をおかず呪文を練っていたスノー・ホワイト達がそれを解放した。同時に、先ほどの鉄砲水にも等しい水の流れがケンタウロス達の後方に唐突に現れる。だが、それは彼らを押し流すのではなく、彼ら本来の突撃よりも遙かに勢いを持って前方へと突撃させて行った。それを見たガブリエルは、慌ててプロテクションを唱え、自らの周りに水の膜を張り巡らせた。

 腰だめに構えられたケンタウロスのランス、その切っ先が水の防護膜を捉え、大きくたわませる。そして、ほんの数瞬の拮抗の後、まるで泡が弾け飛ぶようにしてプロテクションは消え失せた。だが、同時にケンタウロスのランスもその穂先を失っていた。それでも彼らの勢いは止まらず、ほとんど体当たりのようにしてガブリエルにぶち当たって行く。

 彼女は鞠のように大きく跳ね飛ばされると、数度地面に打ち付けられ、ぐったりと動かなくなった。彼女に遅れること数瞬、とっさに体を庇ったのだろう、手にしていた杖が真っ二つになって地面に転がった。

 それを見届けたガームはがくりと膝をつき、激しく咳き込む。
「ぐぅ……さすがに、連続複数召喚は年寄りにはきついわい……」

 咳き込みながら一人そうごちり、ケンタウロスの一人に助けられながら倒れ伏したガブリエルの元へと歩いていく。

「……むぅ……まだ息があるのか……」

 しゃがみ込み、彼女の胸が上下に緩やかに動いているのを見て、ガームは呻く。だが、その土手っ腹には折れたランスが深々と突き刺さり、夥しい量の血が流れ出ている。弱々しい呼吸も、その命があと幾ばくもないことを如実に物語っていた。

 数瞬の間彼は考え込むと、天使の体に深く食い込んだランスを引き抜き、懐から短杖を取り出して何事かぶつぶつと呟いた。すると、見る見るうちにガブリエルの腹部の傷が癒え、弱々しかった呼吸も穏やかな物へと変わっていった。

「あ、あの、何をしているんですか?」

「く……ぅ……」

 戦闘が終わり、支配をゆるめたスノー・ホワイトの一人がおずおずとそう訊ねる。と同時にガブリエルが小さく呻き、ゆっくりと目を開けた。少女はびくりとその身を震わせると、思わず一歩後ずさった。

「私は……」

 幾度か瞬きをし、仰向けに寝転がったままぼうっとした口調でガブリエルが呟く。が、すぐにその表情が引き締められ、彼女は素速く上体を起こした。まだ傷が痛むのか一瞬顔をしかめたが、きっとガームを睨み付けた。

「……何のつもりです。この私に情けを掛けたつもりですか?」

 先ほどまで瀕死だったとは思えないその気迫にケンタウロスやスノー・ホワイトたちはすぐさま臨戦態勢を取る。

「なに、お前さんの目には余りに邪気が感じられなんだでの。それに、美人を死なせるのはわしの流儀に反するて……ただそれだけじゃ」

「……スケベじじい」

 ぼそりと、先ほどとはまた別のスノー・ホワイトが呟く。その途端ひくっとガームのこめかみがひきつり、ぎろりと少女を睨み付けると同時にそのスノー・ホワイトは自分の頬を両手で摘み、ぎゅーっと横に引っ張った。

「ひ、ひたたたたた……きょ、きょにょー! ひゃめにゃふぁいおー!」

 彼女は涙目で叫びながらしばらくそうやっていたが、やがてぱっと頬を離すと慌てて赤くなったそこをさすり始めた。

「うう、少女虐待だわ」

「やかましいわい」

 頬を押さえ、女の子座りをしながらさめざめと泣き真似をする少女を、きっぱりとガームが切り捨てる。ガブリエルは目の前で突然漫才を始めた彼らをしばし呆然とした表情で眺めていたが、やがてはっと我に返り背筋を伸ばし……すぐに肩を落として深いため息をついた。

「……私は、こんな奴に負けたのですか……」

「さらっと酷い事を言うのぉ……。さて、物は相談じゃが……」

「私に、あなたの召喚獣になれとでも言うのですか? 召喚術師が言う台詞など、決まっていますからね」

「……まぁ、平たく言うとそうじゃな」

 言いかけていた台詞を先に言われ、ガームはしばらくもごもごと口を動かしたが、やがて顎髭をしごきながら難しい顔で頷いた。

「……いいでしょう。戦いに敗れ一度失った命、ただ享受するだけというのは私の流儀に反します。ただし、誇り高き四大天使、甘んじて人間に仕えるようなことはしません。そもそも、人間ごときに支配されるほど私は脆弱ではありません。ですが、一度だけ……そう、ただ一度だけ私の力をあなたに貸すことを約束しましょう」

 右手を胸に当て、誓うようにガブリエルはそう言った。その手をぎゅっと握り、ガームの目の前にそっと差し出す。ゆっくりと開かれたそのたおやかな掌には、きらきらと光る光球が浮かんでいた。

「これを符に封じるといいでしょう。“真の名”を以て私を呼べば、一度きり駆けつけてあなたの力となりましょう」

「うむ……一度だけというのはちと残念じゃが、まあ仕方あるまいて。これはありがたく頂いておこう」

 ガームは大きく頷くと、懐から取り出した白紙の符を目前にかざす。すると、光球はすうっと符に吸い込まれるようにして消え、その瞬間ぱっと柔らかな光が弾けた。見れば、白紙だった符にはいつの間にか複雑な文様が刻まれていた。
 
 

(続く)