*遠い地の紅*
(10万HIT企画その1)
【2】
「お帰りなさいませ、ご当主様」
軒を出るなりそう声を掛けられて、黎深は、ふん、と鼻を鳴らした。
その横で絳攸は目をしばたかせる。
貴陽の紅邸もとても広大だったが紅州の本家は信じられないほど広く、家人の数も桁違いだった。見渡す限り紅家の敷地、邸までの道には叩頭した人の垣。
驚きに固まっていた絳攸は、頭上から声を掛けられてようやく我に返った。
「絳攸。絳攸」
「はっ、はい!」
「迷子になるといけないな。……コレを持ってついてこい」
コレ、と差し出されたのは黎深が愛用している扇だった。
閉じた扇ごしに黎深に手を引かれて、門から邸まで、ずらりと並んだ家人にかしずかれながら進む。絳攸はあまりに居心地が悪くてずっと下を向いたままだった。
と、よく知った声で名を呼ばれて思わず顔を上げる。いつの間にか邸の入口に着いていた。
「絳攸!」
「百合さん!」
玄関先で待っていた百合は、養い子を見るなりぎゅうと抱きしめる。
ふわりとやさしい、懐かしい香りに包まれて、絳攸はほっと張り詰めていた緊張を解いた。
「よかった元気そうで! 長旅で疲れたでしょう。軒に酔ったりしなかった? 途中、黎深に意地悪されなかった?」
「意地悪てなんだ。おい百合、まず夫の心配をするもんだろう」
「きみは大丈夫に決まってるんだ。心配なんてするだけ損だろ。さ、絳攸。お室に入ってお茶でも飲みましょう。しばらく息つく暇もないほど忙しくなっちゃうから、今のうちにね」
そう微笑んだ百合に促されて、絳攸は初めて紅本家へと足を踏み入れた。
「今日の夕方から披露宴でしょ。一応明日は親戚たちからお正月の挨拶を受けて、明後日には貴陽に発つ予定」
指折りながらそう告げた百合は、はぁ、と溜息をついた。
「黎深てば、”官吏としての仕事が忙しい”とかなんとか、もっともらしい理由つけちゃって、面倒な準備一切合切、人任せでさ。式が終わったらすぐ帰るってどういうこと。まぁ、出るだけマシといえばマシなんだけど……」
「マシだと思ってるならいいじゃないか」
「あっなにその”出てやってる”的態度! ちょっとはこっちの身にもなりなさいよね。お正月の準備も、披露宴の準備も、全部私がやったんだから! 大変だったんだよ!?」
「お前はそういった細々した仕事が好きだろう? 正月の準備なんか、毎年やってるじゃないか」
「いつもきみがやらないからだろ! 好きでやってんじゃないよー!」
ぎゃいぎゃい言い合い始めた2人を前に、絳攸はにこにこした。
この前侍女さんが言っていた。黎深様と百合さんは”ケンカするほど仲が良い”のだ。
そう思いながら絳攸がお茶を飲んでいると、室の扉が控えめに叩かれた。
「失礼いたします。百合姫様、そろそろお支度をお願いいたします」
「あっ、はい今行きます。黎深ももうすぐ支度だからね。フラフラしないでここにいるんだよ。じゃあ絳攸、またあとでね」
そう言い残して百合が出て行くと、それを待っていたかのように黎深も席を立った。
「黎深様? どちらへ行かれるんですか?」
「ちょっとな」
「でも百合さんがここにいてって……」
「所用がある」
「でも」
「私の邸だ。誰の指図も受けん」
そう言われてしまっては絳攸には返す言葉がない。
「い、いってらっしゃいませ……」
「ああ。――くれぐれも言っておくが、この邸は広いぞ。お前はここにいろ。いいな」
そう言って黎深は室から出て行った。
【←1】 【3→】
【キリリクTOPへ】
【TOP】
(C) asakawa itsuki
all right reserved.