*遠い地の紅*
(10万HIT企画その1)
【1】
「出かける。支度をしろ」
「あ、黎深様!」
扉を叩くこともなしに室に入ってきてそう言った人物を見て、絳攸は笑顔を浮かべた。
官吏でもある養い親は仕事が忙しいらしく、近頃は同じ邸に暮らしていてもあまり会う機会もなかったので、純粋に嬉しかったのだ。
それまで手習いをしていた絳攸は筆を置くと黎深の元へ近づいた。
「お出掛けですか?」
支度をしろ、ということは自分も連れて行ってもらえるのだろうか、と絳攸は首を傾げた。
「ああ、一刻後に出る」
「はい、分かりました」
頷いた絳攸は、黎深様は一体どちらに連れて行ってくださるのだろう、と思いながら筆や硯を片付け始めた。
ガタガタガタ、と軒に揺られること一刻ばかり。
軒の窓から見える風景は、首都貴陽の街並みからすっかり郊外の田園風景へと変わっている。軒が進む間も、向かいに座った養い親とは何を話すでもなく、当の養い親はといえばぱたぱたとやる気なさそうに扇をはためかせて視線を窓の外へ向けていた。
(いったいどこに行くんだろう……)
絳攸にとってお出掛けといえば、百合さんと一緒に街でお買い物をするか、黎深様に付き合っての邵可様お宅訪問(※ほとんどの場合は覗き見だったが)くらいしか思いつかなかったが、これはどちらとも違う。
(ま、まさかこのままぼくを捨てに行くとか……!)
怖い考えが頭をよぎって、絳攸は首をブンブンと横に振った。
(そ、そんなこと、あるはずない! ……と思いたい…………)
そんなことないと断言できるだけの自信のなかった絳攸はしゅん、とうなだれた。
この一年で読み書きもできるようになったし、簡単な礼儀作法も覚えた。せめて捨てられる前にわけを聞いて、その悪いところを直せば、どこかで雇ってもらえるかもしれない。
下を向いてそんなことを考えていた絳攸は、ぺし、と頭を叩かれて顔を上げた。
「酔ったのか?」
「いっ、いえっ」
絳攸はふるふると首を横に振った。
「さきほどから下ばかり見ているようだが」
「それはその……」
「厠だったら早く言え。漏らされたり吐かれたりすると迷惑だ。道中はまだまだ長いんだ」
「いえ、厠では……って、え?」
道中はまだまだ長い、ということは、もっと山奥に行ってから捨てられるということだろうか。ひょっとして、出会った山奥のような……。そういえばあれからちょうど1年ぐらいだ。
「まだ何日もかかる。変な我慢をして紅州に着く前に倒れるなよ?」
「こ、紅州!!??」
絳攸は大きな瞳をまんまるに見開いた。紅州!? ひょっとして、このまま紅州まで行くというのだろうか!?
「正月には当主挨拶と結婚披露宴をしに戻ってこいと本家の者どもがうるさくてな」
そう言った黎深は心底嫌そうな顔をしていた。
「お前も、バカな妄想狸じじいどもに声を掛けられたら適当にあしらっておけよ。何を言われても気にするな。どうせ下らん見栄だか誇りだかの、ありもしない幻想ばかり見てるやつらだ」
「は、はぁ……」
近所にお出掛けのつもりで出てきて、捨てられるのかとドキドキしていたら、まさか紅州行きだったとは。
いまだに事情がよく飲み込めていない絳攸は、首を斜め前にかたむける。
「式を終えたら百合を連れて帰るぞ」
では久しぶりに百合さんにも会えるのだ。帰りは3人一緒なのだろうか。
嬉しくなった絳攸は、今度は元気よく頷いた。
「はいっ!」
【2→】
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