*春のかぜ 弥生のそら*
(10万HIT企画その8)
【3】
じゃあな、と黎深は散策の続きへと戻ろうとした。
と、そのとき。
衣が引きつれるような感覚がして、黎深は立ち止まり振り返った。
見ると、袖の端を握られている。
「…………ち、がい、ます……」
蚊の鳴くようなかぼそい声でそう言った幼子は、ふるふると頭を振って、まいごじゃありません、と呟いた。
「迷子じゃないだと? じゃあ一体こんなところで何してる」
「かくれんぼ……。……ここで、待っているようにといわれて……」
「ほぉ?」
それにしては周囲に人の気配すらなかったな、と黎深は思った。
「いつからここにいるんだ、お前は」
「……あ、朝から、です……」
ではそれからずっと、隠れているようにと言われて素直に待っていたのか。
黎深は呆れた。
今はとっくに午を回っている。もうすぐ陽が落ちはじめるだろう時刻だ。
そんなに長時間放っておかれたのなら、丸まって泣いていたのも頷ける。
「バカか、お前は」
この幼子を置いていった者は、おそらくこの子を探してすらいない。最初から迎えに来る気などなかったのだろう。
"口減らし"というヤツだ。
綺麗な衣を着ていることや、ある程度マトモな受け答えをすることなどから、この子はそれなりの家の出だろう。それならば、幼子を捨てる理由は貧しさからではあるまい。
「いつまでもここにいても、誰も迎えになど来ないぞ」
春とはいえ、まだ夜は冷える。ろくな防寒具も無しでこんなところにいつまでもいては風邪を引くだろう。
それ以前に夜盗が出ないとも限らない。こんな山奥には鬼だっているかもしれない。
「お前がこのままここにいても、待っているのは死だけだ」
スッパリと言い切った黎深に、幼子はほろりと大粒の涙を流しながら頷いた。
「……でも……」
それでも待っていないと、と呟いて、黎深の袖を掴んでいた手を離す。
「……だって、……待つことしか、できないから……」
帰れないし、と幼子は泣いた。
自分の置かれている状況を分かっていてなお、それに従おうとしている幼子を見て、黎深は鼻を鳴らした。
【←2】 【4→】
【キリリクTOPへ】
【TOP】
(C) asakawa itsuki
all right reserved.