*春雪*
(黎深・絳攸・楊修)


【3】

(ひょっとして、楸瑛か!? ずいぶんと早いが……)
わずかな期待を込めて絳攸が音の聞こえてくる方を見遣ると、そこからははたして予想以上の人物が現れた。
『れ……!』
ついいつもの癖で黎深様、と言いそうになって、絳攸は慌てて口を閉ざす。
邸では養い親と子であっても、朝廷では官吏同士なのだ。うかつに名を呼んではいけない、と絳攸は思っていた。
ほんの少し不機嫌そうな顔をした黎深は、ちらりと絳攸を見ただけで書棚から巻物を手にすると、ツカツカと2人の元に歩み寄り、その目の前の席へと腰を下ろした。
無言で巻物を紐解き始めた黎深に、絳攸は目を瞠り、男は黎深と絳攸を交互に見遣ってわずかに口端を持ち上げる。
「…………何をジロジロ見ている」
「あっ、す、すみません!!! 失礼いたしました!」
黎深にそう指摘されてようやく絳攸は上官に対する礼を取る。
それに黎深は鼻を鳴らした。
「人の顔を眺めている暇があるなら筆を動かしたらどうだ」
「は…い……。すみません……」
だって黎深様が急に来たりするから、と内心思いつつ、絳攸は大人しく頭を下げた。黎深に言われたとおりに書き掛けだった書翰に視線を落とすと、無理矢理それに集中していく。
そんな絳攸は、黎深と隣の男がチロチロと互いを窺いにらみ合っていたことにはまったく気がつかなかった。




そんな息苦しい状況のまま、どのくらい経っただろうか。
再びコツコツと沓の音が聞こえてきて、絳攸は顔を上げた。
室の入り口の方を見ると、白い服を纏った少年が歩いてくるのが見えた。少年は書翰の他にもなにやら抱えている。
ほっとした絳攸は思わず知己に声をかけた。
「楸瑛!」
「ただいま絳攸v 今日もそこにお茶とお饅頭が置いて――、あ」
友人の他にも2つの人影を見つけた楸瑛は、手近な机案に持っていた書翰と盆と置くと優雅に一礼してみせる。
それを黎深は無視、絳攸の隣に座った男は興味深げな表情を浮かべていたが、男はしばらく楸瑛と絳攸とを眺めたのち、読んでいた書翰を閉じた。
「それでは李進士、私はこれにて失礼いたします」
そう言って男は席を立つとスッと室を出て行った。
それを見送ってから、黎深も手にしていた巻物を綺麗に巻き直すと、ぽん、と絳攸の頭を叩いて無言で室を出て行く。
絳攸と楸瑛は、言葉もないままそれらを見送った。
「…………………」
「………………絳攸、きみの養い親殿は一体何をしにいらしたんだい?」
「…………さぁ…………?」
朝廷内を動き回ることが多くなった楸瑛は、すでにとある噂を耳にしていた。紅黎深は"やるときはやるが、やらないときはまったくやらない"と。
「ところで絳攸。きみの隣に座っていた方はどなた?」
「さぁ? そう言えばお名前は伺わなかったな……」

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