*おもてなし*
【2】
黎深、客二人――そして絳攸が座る大卓に、次々と菜が運ばれてくる。
絳攸は大人たちをちらちらと窺い見ながら、一生懸命に菜を片付けていく。箸使いや食事作法にもだいぶ慣れたとはいえ、食べるのが遅いことを絳攸は自覚している。自分のために客を待たせるわけにはいかないから、正直話しかけられないのは助かった。
何とか無事に食事を終えて、庭院を見渡せる露台に移動する。花弁をちらちらと舞い落とす桜の樹下に据えられた方卓に、茶と茶菓子が運ばれてきた。
砂糖菓子を摘みながら、絳攸は茶を手に話をする三人を眺めていた。
(このままじゃ、ほんとに座ってるだけになっちゃうけど……)
いいのかなと首をひねった絳攸は、鳳珠の茶がなくなったことに気付いて勢いよく立ち上がった。
「あ、あの! お茶、ぼくが淹れてきます!」
言うなり、絳攸は邸に駆け戻る。露台の控えの間で、家人たちが茶壷を用意して待っていてくれた。黎深には「座っていればいい」と言われたものの、何かできることはないだろうかと思った。そう家令に相談したところ、茶の淹れ方を教えてくれたのだ。練習時間が短かったからあまり自信はなかったが、家人たちに手伝ってもらいながら何とか淹れた茶を手に露台に戻った。
三人の器に茶を注ぐと、鳳珠が短く礼を言って茶器を手にした。
「ありがとうございます。とてもおいしいですよ」
一口飲んだ悠舜が、にこりと笑う。黎深は当然のように何も言わなかったが、絳攸は三人ともが茶を飲んでくれたことに、胸をなでおろした。
「絳攸君」
「は、はい!」
力が抜けたところに突然呼び掛けられて、絳攸は椅子から飛び上がる。悠舜はふわりと表情を緩めた。
「あなたの名は、黎深がつけたのですか?」
「はい! 黎深様につけていただきました!」
「では、どんな字を書くのか教えてもらえますか?」
優しい口調に、絳攸は「はい!」と元気よく答えると再び邸に駆け戻る。するとまるで絳攸の動きを読んでいたように、家令が料紙と筆と硯を置いた卓子を用意してくれていた。
「『李絳攸』――なるほど、良い名をもらいましたね」
「え、そ、そう……ですか……?」
差し出した料紙を手にして言った悠舜に、絳攸はぱちぱちと瞬きをした。
確かに、黎深に名前をつけてもらったのは嬉しかった。しかし李姓はとてもよくある姓だし、悠舜が何故そう言うのか分からなかった。――もちろん、『倶利伽藍絳攸』よりはずっと良いけれども。
「文字には、ひとつひとつ意味があることを知っていますか?」
「はい、『李』はスモモという意味です」
「そうですね。では、『絳』と『攸』は?」
「……あの、ぼくの辞書には載っていなかったんです」
ごめんなさいと頭を下げた絳攸に、悠舜は「謝ることではないですよ」と目を細めた。
「いつか、調べてみてくださいね。そうしたらきっと、私の言葉の意味が分かるはずですから」
「は、はい!」
悠舜の言葉はとても深いものを含んでいるように、絳攸には思えた。頷いた絳攸の視線の先で、きれいな指先が悠舜の手から料紙を掬い取る。
鳳珠は物思いに沈むようにじっと料紙に書かれた文字をみつめていたが、やがて言った。
「……字を教えたのは、百合姫か」
「はい、百合さんがお見本帳を作ってくださいました。……えっと、鳳珠様は百合さんの字をご存知なんですか?」
字を見ただけで分かるなんてすごいという単純な気持ちで口にしただけだったのだが、途端に場が微妙な空気に満ちて、絳攸は慌てた。
(あ、あれ!? もしかして言っちゃいけないことだった!?)
どうしようどうしようと、絳攸は焦った。せっかく少しだけど話ができたと思ったのに雰囲気を壊してしまったと、涙が出そうになった。
「……以前、文をもらったことがある」
たっぷり三拍を置いて料紙を方卓に戻した鳳珠はの声に怒りはなく、絳攸はほうと息を吐き出した。
その後、鳳珠に何をするのが好きかと問われて、本を読むのが好きだと答えた。読み書きができなかったころには知らなかった世界が、そこにはあった。一番最近に読んだ劉楽月の『碧雲紫水記』の一部――主人公が七色に輝く瑠璃でできた花を見つけるくだりを暗唱すると、悠舜と鳳珠が顔を見合わせた。
それから、悠舜に求められて琵琶を弾いた。最初は聴かせられるようなものじゃないと固辞していたものの、黎深が家人に命じて絳攸の琵琶を持って来させてしまい、逃げるに逃げられなくなった。謙遜でも何でもなく本当に拙いという自覚がある琵琶の演奏にも関わらず悠舜も鳳珠も拍手をくれて、愛想でも嬉しいと思った。
はにかんで「ありがとうございます」と頭を下げた絳攸の語尾に重ねるように、黎深がぱちんと音をたてて扇を閉じた。
「絳攸。――もういい、下がりなさい」
冷厳とした黎深の声音に、絳攸はびくりと背筋を伸ばした。心に湧き上がってたほのぼのとした幸福感が、一瞬で凍り付く。おそるおそる見返った黎深は絳攸を一瞥すらすることなく、再び開いた扇をぱたぱたと動かしている。
何か気に入らなかったのだろうか――絳攸は黎深の無表情な横顔を見つめたが、結局、何も問い掛けることができず、しゅんと項垂れて頷いた。
(やっぱり、ぼくなんかじゃ駄目だったんだ)
黎深はただ座っていればいいといったのに、調子に乗ってたくさん話をしてしまった。それがきっと、気に触ったのだと思った。きっといくつも、紅家の養い子には相応しくない醜態をさらしてしまったに違いない。黎深に恥をかかせてしまったと思うと、何よりもそれが辛かった。
「……失礼いたします。どうか、ごゆっくりお過ごしください」
絳攸は表情を隠すために顔を伏せると、琵琶を抱えたまま拱手して場を辞した。声を震わせずに挨拶できたことに、安堵しながら。
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