*月をみていた子供*


【2】

「黎深さま、どちらへ行かれるんですか?」
絳攸は遅れないように、はぐれないように黎深の後を付いていくが、黎深は何も言わずに紅家別邸の広大な庭院を歩く。
やがて、黎深は四阿の一つに辿りつくと、さっさと腰を下ろす。
「何をぼんやり立っている。座りなさい」
「はい」
ひんやりとした石の感触に薄い夜着一枚の絳攸は急速に冷えが伝わってくる。
すると、上からばさりと何かが降ってきて、絳攸の視界を塞いだ。
「着ていろ」
「え?ですが、黎深さまは?」
「お前に風邪でもひかれたら百合がうるさくてかなわん。私が迷惑をする」
「はい、すいません」
絳攸は申し訳なさそうに項垂れると、それでも遠慮がちに黎深から渡された衣を身に纏う。
「絳攸。月を見なさい」
「月ですか?」
黎深に言われるまま、絳攸も夜空に架かる細い月を見上げる。
流れる夜の色をした雲に時折隠されるが、冴え冴えとした光を月は地上に放っている。
時折吹く風が、絳攸の月の雫を集めたような銀糸の髪をさわさわと揺らす。
周囲は虫の声すらせず、ただ風が梢を揺らす音が聞こえるばかりである。
「なんだか、怖いです」
絳攸は、黎深から渡された衣を膝の辺りで握り締め、不安そうに黎深へと視線を移す。
「いいことを教えてやろう絳攸」
黎深は闇夜よりも尚深い、漆黒の瞳で絳攸の瞳を覗き込む。
「は、はい!」
絳攸は怖いほどに真剣味を帯びた黎深に居住まいを正す。
「月にはな、物の怪が棲んでいるのだ」
「も、物の怪ですか?!」
絳攸は恐ろしさにごくりと喉を鳴らす。
「そうだ。あの月に架かる黒いのは雲ではない。物の怪の集合体だ」
黎深は優雅に扇を広げると、事も無げに恐ろしいことを言ってのける。
「あの物の怪はな、子供が大好物で、隙あらば、子供を攫おうと目論んでいるのだ。そうして捕らえた子供は、物の怪の一つとなって、月の光が地上に届くのを邪魔するようになる。だから、月は物の怪の影響を受けて満ちたり欠けたりするというわけだ」
「そうなのですか?!僕も攫われちゃうんですか?」
絳攸は黎深の話に半泣きの様子で、黎深に嫌だと訴える。
そんなことになったら、優しい百合さんや、少し怖いけれど、自分をこうして引き取って育ててくれている黎深さまに会えなくなってしまう。
絳攸はそのことが何よりも怖かった。
「そうだな。物の怪は夜も寝ずにふらふらしているような子供に目をつけるからな」
黎深はちらりと横目で絳攸を見遣る。
「僕、明日から夜更かししないでちゃんと寝ます。だから僕を連れて行かないで!」
絳攸は夜空に向かって必死で祈る。
「まぁ、そういうわけだ。分かったなら邸に戻るぞ」
黎深は隠した扇で、他愛無い嘘をすっかり信じて、今にもべそをかきそうな絳攸に満足そうな笑みを浮かべていたが、それは絳攸の位置からは見えなかった。
そうして数歩先を行く黎深を追いかけると、月明かりのみを頼りにしていた絳攸は庭院に敷き詰められた小石に足を引っ掛け転んでしまう。
「何をやっているのだお前は」
黎深は呆れたようにため息をつく。


【←1】 【3→】
【GIFTもくじ】
【TOP】
(C) asakawa itsuki
all right reserved.