『ルネッサンス薫るヴィチェンツァ』

  <ミラノのドゥオーモ>

僕のイタリアの旅は、ミラノから始まった。

夕刻、ミラノに着いた僕は、その足でヴィチェンツァ(Vicenza)に行く予定であったが、

現地でのホテルが手配できなかったので、ミラノで一泊することにした。

 夕食は、ミラノ駅1階にあるテイクアウトの店で、

ピザ、スパゲッテイ、ワインなどを買い込み、ホテルですますことにした。

夜のミラノ駅は、少々危険な雰囲気だった。浮浪者、ジプシーなどがたむろしている。

 

 ホテルはアダ(Hotel Ada)というミラノ駅から2、3分のところにある

朝食つきの安ホテルにした。オーナーらしいおばさんは、気丈夫だがやさしそうな人であった。

翌朝は早く出発することを告げると、その時間に朝食を用意すると言ってくれた。

朝食といっても、1杯のカフェラテと菓子パンだけの質素なものである。

 

 85分のユーロスター(ES)でヴィチェンツァに向かう。

ヴィチェンツァへの道中に、ヴェローナ(Verona)という町がある。

ここは、シェークスピアの名作『ロミオとジュリエット』の舞台として大変に有名な町である。

 また、この町は明治政府が派遣した米欧使節団が、

イタリアを訪れた際の最初の訪問都市としても知られている。

 明治41212日、横浜から出発した岩倉具視を団長とする総勢50人の使節団の一行である。

使節団は、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などの新政府のそうそうたるメンバーで構成されていた。

彼等は、ミュンヘンからアルプスを越えてヴェローナの駅に降り立ったが、

ここでの滞在時間はそれほど長く取れなかったようだ。

 

 使節団の記録では、『ヴェロナ府ハ以太利ノ一都会ナリ、(中略)、府中ニハ、

古昔羅馬時代ノ建築、猶残跡ヲ存シ、劇場ノ跡、古城ノ壁等、訪古の客、必ス一見ヲ要スル所トス、

路ヲ急クヲ以テ、一観ニ暇アラス』とある。(『米欧回覧実記・四』岩波文庫・久米邦武編)

 

つまり、『ヴェローナには、ローマ時代の遺跡等一見の価値があるものが多いが、

路を急ぐのでよく見る暇がなかった』というのである。現代における日本人観光客の

行動パターンと相通ずるものがあるようだ。

 

 話は、『ロミオとジュリエット』に戻るが、ヴェローナの名門であるモンタギュー家と

キャプレット家は仇敵の間柄でモンタギュー家の御曹司がロミオ、ジュリエットは

キャプレット家の姫君。二人は、運命的な恋に落ちてしまう。

 ある日、ロミオはジュリエットの従兄であるタイボルトと、心ならずも決闘するはめとなり、

彼を殺してしまう。

 その結果、ヴェローナを追放されたロミオはマントヴァに向かう。

ロミオと結ばれたいジュリエットは、42時間仮死状態になる薬を飲むこととなる。

一旦、死んだことにして埋葬された後、二人の相談役であったローレンス師によって

墓を掘り起こしてもらい、ロミオのもとへ向かおうと思っていた。

 しかし、ジュリエットが死んだことを知ったロミオは急いで戻り、彼女の墓を掘り起こす。

そして彼は、ジュリエットを抱きかかえ、毒薬を飲んで絶命してしまう。

 しばらくして、息を吹き返したジュリエットは、自分の計画が

悲劇的な結果になってしまったことを知り、ロミオの剣を自分の胸に突き刺して

自らもまた命を絶ってしまう。という悲劇である。

 悲劇といえば、追放されたロミオの行き先がマントヴァ(Mantova)という町。

マントヴァは、ヴェローナから汽車で約35分のところにあるが、

ヴェルデイのオペラ『リゴレット』の舞台で知られている。リゴレットは

マントヴァ公爵に仕える道化師の名前である。

  リゴレットには、美しく、やさしい、1人の娘がいた。

彼女は、好色なマントヴァ公爵にだまされ、彼に身も心も捧げてしまう。

そのことを聞いたリゴレットは、怒りに震えて復讐を誓い、刺客を雇って、

マントヴァ公爵の殺害を計画する。父の計画を知った娘は、愛するマントヴァ公爵の

身代わりになることを決意する。

 公爵の身代わりとして、リゴレットの娘・ジルダを殺害した刺客は、

死体を袋に詰めてリゴレットに届ける。リゴレットが、その袋を川に投げ込もうとした時、

どこからともなくマントヴァ公爵の歌声が聞こえてくる。不思議に思ったリゴレットは、

中を確かめるべく、その袋を開いたところ、無残な姿となった、瀕死の我が娘を

見つけることになる。彼女は、今までの経緯をリゴレットに話して息絶えるという、

なんとも残酷で、痛ましい話である。

 

 このオペラで歌われる歌の一つが、あの有名な

『風の中の、羽のように、いつも変わる女心…』という『女心の歌』である。

この歌は、マントヴァ公爵が歌っているのだが、この歌には極めて逆説的な意味が

おり込まれているように感じられてならない。

つまり、いつも変わるのは女心ではなく、好色なマントヴァ公爵に代表される男であり、

理不尽ではあるが自らの命を代償として愛を貫いたのは、ジルダという

女性であったという事実である。ある意味で、女性の方が男性よりも信頼できるという

メッセージが、この歌に託されているのではあるまいか。

 元来、女性は平和主義者である。過去の歴史において、戦争を起こすのは常に男性である。

子供を産み、育てるという尊い仕事を為す女性には、同じ人の子である

人間を殺すなどというDNAは、本来、ないのかも知れない。

 21世紀は、女性がますます元気になり、社会の第一戦で活躍する時代だと僕は考えている。

そして、様々な分野で活躍する女性が増えれば増えるほど、世界は安定と平和の軌道を

歩んで行けるのではないかとも思っている。

 

 ミラノからヴィチェンツァへは途中下車せず直接向かったのだが、

今回の紀行文では少々寄道をしてしまった。

 

 次回は、ルネッサンスの天才的建築家、

パッラデイオの作品を数多く残している、本来の目的地ヴィチェンツァの町を見てみる予定です。

 <パッラデイオ像> 彼が設計したバジリカの脇にある。