遥かなる『パルテノン』

 その丘に降り立った僕は、遠く人類の歴史にその眼差しを向けた。

まさに、人類の遺産がそこに建っている。

かの ル・コルビジェ を始め世界中の建築家がここを訪れ、感動し、そして、インスピ

レーションを得た。

 僕も、しばしそこにたたずみ、体の奥底から何かを感じようと時を待った。そして、

しばらくすると、お腹が空いてきた。

 アクロポリスは丘というより、むしろ崖といった方が似つかわしい。下界から眺めると、

まさに断崖絶壁のごとくそれはそそり立っている。ホテルの窓から、夕日に赤く染まる神

殿を眺めることができたが、その荘厳さは悠久の時の流れにその身を浮かべているかのよ

うだ。

 パルテノン神殿は紀元前5世紀の中頃に作られたというから、2400年以上の時を刻んだ

ことになる。さすがに、長い歴史の中で建物の傷みも激しく、現在、保存修復工事が続け

られている。神殿の内外にも工事用の足場が設けられていた。ぺディメント(建物正面の

上部で三角形の形をしたもの)の一部の色が白っぽく見えるのは実は新しく補修された部

分。(画像ではよく分らないかもしれませんが)

 一つ一つ、美術考証をしながら補修するという地道な作業である。修復作業が完成する

までには相当長い期間がかかりそうだが、パルテノンが今まで生きてきた年月を考えると、

そうすることがこの建築の巨人への当然のお返しだと思ってしまう。

 パルテノン神殿の列柱の高さは約10m、柱の下部の直径は約2m。 円筒形の大理石が

10段に分けて積まれている。1段の柱部分の高さが約1mくらいだが、それでも、1段あ

たりの重量は相当なものになる。重機のない時代、これをどのようにして積んでいったの

だろう。  実は、柱を一段積む毎に、その高さまで砂を盛って支持地盤面を作る。それ

を2段目、3段目と繰返していくのだそうだ。建物が完成した後、砂を取り除けば、そこ

に建物だけが残るという訳である。古代の人は、知恵があるとしみじみ思う。

 知恵といえば、紀元前6世紀頃、ギリシャの植民地であったミレトスの哲学者タレスを

思い出す。彼は、エジプトのピラミッドの高さを測定したことで知られている。現在のよ

うな測量機器のない時代にあって、彼はどのようにして高さを測定したのか?

 答えは簡単。

  1. 太陽の出ている日
  2. 人の影の長さとその人物の身長が一緒になる瞬間
  3. ピラミッドの影を測る
  4. その影の長さがピラミッドの高さ

という訳で、わかってしまえば簡単なことなのだが、そこにはなんとも深い知恵が

隠されている。

 今、時代はハードパワーからソフトパワーへ大きく変貌しようとしている。言いかえ

れば、物・量の時代から知恵の時代へと時が大きくその舵をきりはじめたということだ。

知恵が価値を産む。なんと面白い時代に我々は生きているのかと思う。 

  (エレクテイオン神殿)

○ アテネ(Athen

で“マリソル”という日本人の経営する旅行代理店にミコノス島へ行くフェリーの   

 チケットを買いに行った。経営者は平島さんという方で、以前、某日本企業の駐在員を 

 していたが、ギリシャが気に入って、脱サラをしてアテネに居ついたそうな。大変親切

 な方で、ミコノスの良いホテルも紹介してもらい、アテネの美味しいレストランも教え

 ていただいた。

  その一つ、現地のファーストフード店のような感覚の“タナシス(Thanassis  

 という店。(「地球の歩き方」にも載っていた)

 彼は、ここのスブラキが毎日食べてもいいくらい美味いって言っていた。僕はカバブピ 

 タが気に入り、それこそ毎日食べていた。

       クレープのようなパン生地で巻いたもの。1つ320ドラクマ(約130円)

 カプニカレア(kapnikarea)教会

僕が滞在したプラカ地区にあったビザンチンの教会。11世紀に建てられたとのこと。

ギリシャがトルコ人に支配されていた時、この教会は“Princess Church”と呼ばれ

ていた。1834年、アテネの都市計画でこの教会は解体・撤去されそうになったが、

ギリシャ国王 オソン(Othon)があえて残すようにしたとのこと。

そういえば、シンタグマ広場からエルム通りを歩くと、通りを遮るかのようにこの

教会は建っていた。現在、この教会はアテネ大学の所属となっている。

 ところで、ポーズをとっているギリシャ美人が写真に写っていますが、彼女はたま

たま、偶然に写った女性で、僕とはなんの関係もありません。

 誤解なさらないとは思いますが、念のため。