読むたかく Vol.3
(03年)

こ   と   ば 出  典
(今年はパンクラス10周年ですが、旗揚げメンバーの冨宅さんの心境としては?)早い、ほんま早いの一言ですね。早いっすよ。24ですよ、それがもう34ですからね(笑)感想とかっていうよりも、まずそれが一番ですね。
 (10年の中で印象に残ってる試合っていうのは?)旗揚げ2年から3年ぐらいまでは覚えてるんですよ。どの会場で誰とやってっていうのを。で、その後は結構抜けてるんですよ。後、復帰してからはまた覚えてるんですよね、渡辺(2000年4月)とやってからのは。その間は結構抜けてますね。やらしいですけど、勝った試合で言えば2年目にジェイソンに勝ったのとかっていうのは印象にありますよね。負けてるので言えば、2年目に船木さん鈴木さんと連戦した時の試合ですかね。」
(2月16日のグランキューブ大阪大会を前にしての談話)
パンクラス
オフィシャルサイト
「このところずっと負けるのが当たり前みたいになってて、正直慣れみたいなものもあるんですよ。この試合で、勝つ感触を思い出せたらいいですね。僕なんか引退勧告されてもおかしくない身ですから、試合をさせてくれることに報いたいです。お客さんも、みんな「また冨宅の負けやろ」と思ってると思うんで、それをひっくり返してビックリさせたいですね。
 やめようと思ったりはしてないですね。今やめたらカッコ悪いですもん。正直、このままズルズル終わるんかなという気になったりもするんですけどね。
 今は、ピーズラボ大阪で教えるのが完全にメインになっています。東京での試合も、ファンに戻って見てる感覚なんですよ。練習に専念したい部分もありますけどね。
 こっちにいると、ismは恵まれてることがよく分かります。医者、出稽古、チャンコ、洗濯・・・。ismの若い選手には自覚してほしいと思うこともあります。郷野選手の発言も、そのあたりもあるんやないかと。」
(2月16日のグランキューブ大阪大会を前にしての談話)
格闘技通信
320号  
「・・・何ですかね?いざ、もう30(歳)前になったら、スポーツ選手としてはムリやろ、と思ってたんで、潔くとか思ってたんですけど、いざそうなったらそうなったで、なかなか潔くってできないですよね。何か意地っていうのか、やってやろうっていう。こうなったら、旗揚げメンバーで一番最後に辞めてやろうと思ってたんですけど。
 パンクラスを辞めんのやったら、一切のリングから遠ざかろうと思ってたんで。裏方でやるのか、完全にいなくなるのかわかんないんですけど、(10周年で)ちょうどキリがいいかなとも思いますしね。まあ、まだどうなるかわかんないですけどね。とか言って、「次またやるぞ」って言ってるかもわかんないですし。もう、引きずり下ろされてもワァーって上がってるかもわからへんし。まあ、それはわかんないんですけど、とりあえずまあ、できるところまでは、試合の話があるうちは、何とか頑張りたいと思いますけど。まあ、残り少ないですからね。あの〜、派手に引退式とかやりたくないんで。気付けば辞めてたとか、どうなったんやとか、そういう風に、あわれな芸人の最期みたいな終り方がいいですね。個人としては。
 (身体は)今でもかなりボロボロですけどね。肉体的にも精神的にも。僕個人は大丈夫なんですけど、周りの状況・・・自分一人のワガママでやってる訳でもないんで。
 でもまだ、今日で終りとかじゃないですよ。あと2人やりたい人がいるんで、その人とやるまでは辞めれないですね。パンクラスに上がっている選手です。でもまあ、実質対戦できるかはわからないんで、それが最後となったら、お願いして、最後やからお願いだからワガママを聞いてくれって、(試合を)組んでもらえたらいいんですけどね。」
(2月16日、星野戦後のコメント)
パンクラス
オフィシャルサイト
(U−STYLEに)出るんじゃないですか。誘われてるのか「出たい」って言ってるのかわからないですけど。元々、冨宅はUWFに憧れて入って来た選手ですから、ここにきて憧れてるものに対しての本音が出て来てると思いますよ。確かにパンクラスを作った当初は、藤原組を解散して、「じゃあ、これから何をやっていくか」ってなったときに、「俺は真剣勝負の試合をやってみたい」、「お前はどう思う?お前はどう思う?」っていう感覚で聞いたんですよ。そしたらみんなが「自分もそう思います、自分もそう思います」って言ったんですけど、それは俺が先輩だからそういうふうに言ったのかもしれないし、解散して次に働く場所がないから言ったっていう選手も中にはいたかも知れないですよね。だから今、本音というか自分がホントにやりたい事を残り少ない選手生活の中でそれぞれが追求し始めてるってことは俺はいいことだと思うし。」
(5月12日収録、船木さんのインタビュー)
紙のプロレス
62号
「昨年、大阪の道場に顔を出した佐伯代表と話したときにU−STYLEの旗揚げを聞いた。その後2回、大会を重ね、ビデオも見て、興味が湧いた。そうするうちにパンクラスMissionもできて、出場を打診したところ、OKを頂いた。」
(同期の垣原選手とプロレスのリングで戦ってみたいですか)当初は総合での対戦を希望していたが、Missionが立ち上がり、新日本プロレスに上がっている垣原選手ともかなり近くなったので、少しずつ考えが変わり、今はやってみたいと思う。」
「田村選手との試合は、今回が初めて。UWFの試合で田村選手が眼窩底骨折からの復帰戦(1990年、松本大会)で、実は僕か垣原のどちらかが試合をすることになり、宮戸(成夫)さんから「2人でジャンケンで決めろ」と言われた。その時に垣原が勝って、試合をした。もし、あのジャンケンに勝っていれば、僕が田村選手と試合をしていた。初めての対戦に楽しみと緊張が半々です。やはり、最後は関節を取りたい。何でもいいので。ロストポイントもあるけど、完全決着でやりたいですね。」
(今後、U−STYLEで対戦したい相手は)今、特に思いつかない。最終的に田村選手とできれば。と思っていたが、いきなり実現してビックリしている。」
「プロレス技を出してみたい。田村選手をロープに振らせてみたい。コスチュームは、旧パンクラスルールの最後の頃のレガースを引っ張り出してきた。」
(6月9日、パンクラスMission移籍・U−STYLE大阪大会出場決定にともなう記者会見)
スポーツナビ
トピックスコラム
(2月16日の大阪大会では引退を匂わすような言葉も出ていましたが。)あれは今の総合格闘技の流れからして、「これから試合していくのは難しいかな」と・・・まあ引退とかいうのはなかったんですけど。これからも鈴木さんと同じでパンクラスの試合、例えばDEEPさんからも声が掛かれば総合格闘技の試合にも出ます。」
(プロレスに対しての拘りは?)今でこそプロレスと格闘技の両方をやる選手が凄く注目されてますけど、藤原組の最初の頃から「両方やりたいな」と思ってました。SWSとのことがあったりとか最初の1年間、試合できない時期があったんですよ。「定期的に試合できるのはプロレスしかないな」とか、あの時の状況では日本でやるのは無理だから「外国に行ってやってみたいな」と、ずっと思ってたんです。船木さんにも話したんですけど、パンクラスになってアメリカに行って(95年)、その後にイギリス。船木さんとトニーセント・クレアーの交流が続いていたので10戦ぐらいはやったんですけどね。」
(田村選手という存在は?)UWFの時は合宿所の同じ部屋に1年半、解散するまで一緒に住んでいた1年先輩で、一番仲のいい友達の感覚でしたけど、今はライバルというか標的に変わりましたね。」
(UWFの源流を見せる、と?)源流・・・まあ、そうですね。そこまで言ったら他にいた人たちに申し訳ないですけど。若い人はもうUWFを知らない人が多いし「こういうのがある」っていうのを見せつけたいですね。気持ちも引き締まりますよ。」
(U−STYLE以外のプロレス出場は考えてますか。)他から声を掛けて頂いたら、やってみたいですね。体重80キロそこそこなんで、いきなり新日本というのはムリなんで、関西なら大阪プロレスとか闘龍門とか同じくらいの体の人もやってるんで。田村戦は団体の人にもアピールできる試合にしたいですね。」
(U−STYLE大阪大会・田村潔司戦を前にしての談話)
週刊ゴング
974号
「今まで本当にいろんなことがいっぱいありました。稲垣選手が入門テストを受けにきた時。藤原組が解散した時。トーワ杯の試合。パンクラスデビュー戦。ケガして入院した時。試合したこと。練習したこと。飲んで酔っ払ったこと。レースのTバックの水着?で区民プールを泳いだこと(中略)。挙げたら本当にキリがありません。
選手としての稲垣克臣は6月22日で最後ですが、これからも人としての稲垣一成との付き合いは全く変わりありません。今まで選手生活、お疲れ様でした。本人が決めたことなので、何も言う権利はありません。またこれからもP,sLAB大阪を一緒にやっていきましょう。改めまして、宜しくお願いします。
で、次の復帰戦はいつ?(^v^;)」
(稲垣選手に贈る言葉)
パンクラス
オフィシャルサイト
「なんか悩んでいるのかなと。中途半端な・・・厳しく言うと見ていて全然おもしろくない。負けてもいいんですけど、伝わるものがない。淡々と試合をこなしてるという感じですね。
 ただ、逆にあの年になって逃げないでやっている。自分との闘いだと思うし、ケガとかにも悩んでやっているのを見ていると同世代として評価しますよ」
「宮戸(優光)さんが言っていたんですけど、冨宅を見て『生き残った人間がやる試合をやっていた』って。ウチの若いのが元気ないんで、それとあの頃の冨宅がやっていた試合を比べて言ったんですけど」
(U−STYLE大阪大会・冨宅戦を前にして、田村潔司選手の談話)
週刊プロレス
1155号
「僕はUWF、藤原組、パンクラスで培ってきたすべてを、僕の原点に投資をしたい。つまり、タイガーマスクに憧れたプロレスファン時代があって、僕はその原点で闘いたいという欲が出てきた」
(U−STYLE大阪大会・田村潔司戦を前にしての談話)
週刊プロレス
1155号
「負けが続いてるのに試合を組んでもらえるっていうのは、旗揚げメンバーというだけで優遇されてるなって思うし、バイトしながらリングに上がってる選手とかのことを考えると肩身が狭いし、申し訳ないなって思ってるんですよ。僕も練習をサボってるわけでは全然ないですけど、若い人たちのためには退いた方がいいのかなっていうのもあったりはするんですけど、本気で辞めようというのはないですね。」
(優遇どころか残酷なマッチメイクが多いと思うんですよ(笑)。なぜ一期生がここまでやらなきゃいけないんだっていう。)そう言ってくれる人も結構いるんですけど、例えばこれが修斗だったら、2連敗、3連敗してたら契約解除になってると思うんですよ。それを思うと、捨て駒みたいなもんでも、試合を組んでくれるだけで嬉しかったし、有り難かったし、確かに結果は出せてないですけど、精一杯それに応えられるようにっていう気持ちではやってましたね。あと、組んでもらえるということは、どんな役目でもまだそれだけ必要なんやって、周りからは「また負けた」って言われても、使ってくれるっていうことはまだ1%くらいは何かがあるからじゃないかなって。」
(試合後リング上にグローブを置いていったのは、別に何かのメッセージじゃなかったんですか?)いろいろあって、パンクラスの所属選手としてはあの試合が最後の試合になるかもしれないっていうのがあったんですよ。結局はそれはなくなったんですけど、そのときから「U−STYLEに出たい」っていう希望もあったんで、まだ続けるけどひとまずの区切りはつけようかなって。まだ、「パンクラスMISSION」もできてませんでしたからね。」
「まず鈴木さんの方から先に道を切り拓いてくれたんで、タイミングが良かったというか、僕としてはやりやすかったかなと。僕が先に道を切り拓いてってなってたら、ちょっと難しいところもあったと思いますからね。」
「もしU−STYLEをやるってなれば、パンクラスを抜けるしかないなと思ってたんで。」
(船木さんもウチのインタビューで「もしプロレスのリングに上がる時はパンクラスからは完全に足を洗ってからだ」って言ってましたよ。)やっぱり一番最初にそれでやってますからね。自分自身も裏切れないし、仲間も裏切れないし、ヘンな話、パンクラスが潰れて金が一銭もなくなってもやっぱり旗揚げメンバーっていう仲間は裏切れないし、それは凄く強いですね。」
(途中でプロレスをやってみたいなっていうのはなかったんですか?)それはありました。僕は体もちっちゃいし、ネームバリューも全然ないんで、鈴木さんみたいに新日本とかいきなりデカイところでプロレスをやるんじゃなくて、初心者として一からちゃんとやってみたいなっていうのは今でもありますね。」
「ホンマにいい感じでいろんなことが重なった感じですね。僕自身、20歳ぐらいの時にこの話があったら絶対断ってると思うんですよ。」
「今回は初っぱなからメインで使ってもらえるわけですけど、これは「新生UWF出身」っていうのがあるから使ってくれるんであって、ホンマにパンクラスだけの選手だったら田村さんとメインでっていうふうにはならないというのはわかってるんで、これで使い物にならんようだったら後はないですからね。それこそもう引退ですよ。ピーズラボ大阪で毎日、会員さん相手にやるしかないと思ってますから。」
(ダメだったら引退の覚悟ですか。逆に言うと今は凄くやる気になってるわけですから、まだそのつもりはないと言うことですよね?)そうですね。もちろんパンクラスルールの試合もやりたいし、Uスタイルもやりたいし、マスク付けてのプロレスも、やれるんやったらやってみたいし。」
(プロレスをやることに、後ろめたさみたいなものはありませんか?)うしろめたさっていうのはないですけど、旗揚げメンバーで例を出すならば高橋(義生)選手を見てて羨ましいなっていうのはありますね。プロレスとか他のものに頼らずにパンクラス一本でやってるし、やっていけるじゃないですか。」
「最後の1年半おっただけの僕なんかがUWFがどうのこうのと喋るのはおこがましい気持ちもあるんですけど。1年半でもおったっていうのを凄い僕は誇りに思ってるし、その誇りを全面に出して「本来のUWFっていうのはこういう闘いや」っていうのを見せるのは、僕と田村さんがやらんと誰がやるんやって思いますから。」
(U−STYLE大阪大会・田村潔司戦を前にしてのインタビュー)
紙のプロレス
63号
「自分の中での最後の取り得というか、いままでは旗揚げメンバーであるというブランドであったりとか、キャリアがあるというブランドやったりだとか、そういうのでまだ試合はできてたんですけど、貯金もだんだん少なくなってきて、残高が、パンクラスの試合ということに関してはゼロに近くなってきてるんで、完全にゼロになったらやめようと思ってたんですけど、まだ、もうちょいぐらいはやれると思って。で、残高ゼロでどうやって生活しようかなというところで、定期を崩したという感じで。とりあえずU.W.F.におったということが、まだ1つのブランドになっていると思うので、それを使っていこうかなというところですね。」
「今、練習は全く変わってないですね。ただ、体重が72kgでウェルター級やったんで、やっぱり『U−style』やるにしても、プロレスやるにしても、体重増やさないとやっていけないんで、もう、バーベルばっかりやって、スパーリングは週に1回だけで、ずっと話が決まってからやっていて、今、体重は8kg増やして、今80kgですね。でも、まだ前よりは全然軽いし、80kgやったらプロレスやったら、まだ全然軽いので。まず前の体重、85、6kgに戻して、できれば90kg前後にもっていきたいなと思います。試合が近いんで、最近はスパーリングはずっとやってますけど。でもまあ、まずは動ける身体で体重を増やすというのが目標です。」
(U−STYLE大阪大会・田村潔司戦を前にしての談話)
パンクラス
オフィシャルサイト
「田村を倒せなくて悔しい。殴って、蹴って、倒すつもりだった。空回りしていた。一回も倒せなくて悔しい。向こうは余裕だった。今の時点では負けている。格の差を感じる。
ただ、矛盾するけど、手を伸ばせば届く気もする。こういうスタイルは十何年ぶりで慣れなかった。U−STYLEにもう一度出る。イチから作り直したい。またやってみたい。ほかのことは関係ない、負けたら何もない。」
(6月29日、田村戦後のコメント)
スポーツナビ
格闘技速報
「冨宅(飛駈)は、悩みながらも前向きにやっていて、それを試合でも感じた。試合時間は短かったけれど、内容は濃かった。流れなどは関係なしに、気持ちが伝わる試合だった。」
(6月29日、冨宅戦後の田村選手のコメント)
スポーツナビ
格闘技速報
「十何年ぶりにやって、悔しいんで、これから一から実績を作っていつになるかわからないけどやりたいですね。今回、メインで田村選手に負けた。次に何があるんやと考えると、まだ田村選手しか顔が見えないですね。勝っても負けてもスカッとする予定やったけどスカッとしませんね」
(6月29日、田村戦後のコメント)
週刊プロレス
1156号
「個人的にはね、冨宅選手が引退するとかしないとかっていうのを時々チラチラと本人のコメントにもあったと思うんですけども。そういう寂しいことを言ってたのを聞いて、同期としてちょっと違うだろうと。頑張ろうやという気持ちもあってですね。もちろん第2次UWFのときは1勝1敗1分という五分の成績だったので、決着をつけたいというのもあるんですけども、それと同時にタッグを組んでもみたいんですよね。それでIWGPジュニア・タッグに挑戦しようやという気持ちもあって。そういう目標があってもいいんじゃないかなという。」
(ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアを制して、垣原賢人選手のインタビュー)
週刊ゴング
977号
(旗揚げ当時は苦しかったのでは。)そうでもないですね。最初の頃は、苦しいという経験はない。でも、お金がなかった。いまだったら、何かバイトをしながら生計を立てるということも考えられるわけだけど、そのときは他の仕事をしたいとまったく思わなかったんです。他の仕事をしたら、プロレスラーになりきれないと思っていたわけで。最低限の生活が出来ればいいと思ったから、精神的に苦しいと思ったことはない。むしろ、楽しかったです。」
「最初の何年間は楽しくて、前しか見えなかった。横はまったく見えない状況でしたね。」
「昔の根性論的な練習を経験している人のほうが、たとえ何十秒で負けても、人を引き付けられるものがある。それを見てファンになった人とかたくさんいると思うんです。負けても、メインに持って行きたいなと思う選手もいる。逆に勝っても、ファンの少ない人っていると思うし。いまは科学的なものだけが持てはやされて、根性論というのは体に良くないとか言われてますけど、たしかにそればっかりやっても良くない。だからといって、科学的なことばかりをするのもよくないと思う。その半々ぐらいがちょうどいい。」
「最初、いろんな団体から選手がリングに上がってきたときは、強いとか弱いとか抜きにして、なんで素人っぽい人がリングに上がるのかなと正直思いましたね。いまでこそP,s LABの会員がリングに上がって試合してますけど、昔では考えられない。ウチらと練習生は一線を引いてましたから。僕がこう言うのはおこがましいと思うけど、プロの興行という概念からお遊戯会みたいなノリになっている。プロレス興行というよりも、競技の興行という感じなんですよ。でも、一概にそれを否定出来ない自分もいる。だって、各選手がチケットを知人に売りさばいて、興行運営に貢献している場合もあるわけだし。それを認めないといけないなという気持ちもある。そういった意味では、複雑ですね。」
「随分変わりましたね。最初のビデオといまのビデオを見たら、別の団体のビデオと思うぐらい。旗揚げ当時からのパンクラスファンの人は、僕の気持ちは分かるでしょう。」
(10年という歳月は早かったですか。)早いですね。スゴイ早いですね。初めてセックスしたときのように早かったですから(笑)。」
(稲垣さんとの対談にて)
パンクラス
10周年記念
公式本
「ロード・オブ・ザ・パンクラス」
「一言でいって、強いですね。上手いし、強いし。もうちょっと打撃とか、軽いかなと思ってたんですよ。そしたら、全然軽くなくて。同じ体重ぐらいなんですけど、打撃はすごく効きましたね。最初、『K−1』に絡んでいる人と打撃でやりあえるっていうのは経験ないし、いい機会だと思ったんで、変にディフェンスとかせずに打撃でいこうと。でも、打撃出せなかったですね、間合いとか構えとか難しくて。そこはさすがですね、立ち技のトップクラスの選手なんで。」
(村浜選手は、大阪プロレスの中では冨宅選手に一番近いスタイルだと思いますが?)だからといって、必ずしも、かみ合う試合にはならないというか。プロレスでも格闘技でもそうなんですけど、あるんですよね。(中略)くいしんぼう仮面選手とは一番合ってた気がしますね。あとの選手もやりにくいとか合ってるとかはなかったですけど。村浜選手とは同じようなスタイルなんで、向こうが先にやってることを僕が後から追いかけているような感じなんで、目標にはしてましたけど、同じ道を後から付いて行きたくはないと思ってるんで。とりあえずタイトルマッチ、村浜選手と試合するっていうのが今までの目標やったんで、それが無くなったんで、これからまた自分の中でも、大阪プロレス参戦第1章みたいな感じで。もしかしたらタイトルマッチ終わったんでもういいって言われるかもわからへんし。でも、使っていただけるんであれば、こっからが正念場でしょうね。それは自分でもわかってます。」
(タッグマッチやデルフィン軍団との試合はいかがですか?)そうですね。やってみたいですね。昨日もえべっさんとやったんですけど、やっぱりああいうのは見てておもしろいですね。でもいざやるとなったら、言うとやるのとでは大違いですね。とりあえず最初一発目はやったんで、新鮮味があるっていう意味でお客さんが笑ってくれたりはしましたけど、それをずっと続けてというのは難しいと思うし。僕の立てる場所っていうのを探したいと思います。」
(今後の参戦は?)希望しますね。これで終わったから、負けたから「ハイ、終わり」っていうのではなくて、でもそれでは僕も納得いきませんし、何回でもやっていくんで。今はパンクラスMISSIONというブランドでやってきましたけど、これからは「冨宅飛駈」っていうブランドで、タイトルマッチを村浜選手とやりたいし、他の選手ともやりたいし、ベルト持ってなくても村浜選手とは何回でもやりたいですね。勝つまではね。」
(3ヶ月間『大阪プロレス』を経験したんですが、これまでと違う部分を吸収したということはありますか?)やっぱり技とかどうのこうのじゃなくて、プロレスは僕は子供の頃から見ていて、プロレスラーになりたくて、U.W.Fに憧れて、それがパンクラスで総合格闘技になりましたけど、やっぱりある面でプロレスラーのすごさというのを再認識しましたね。僕が中学3年の時にこれで一生飯を食っていこうという決断は間違ってなかったですね。」
(参戦してみて、大阪プロレスの印象はいかがですか?)どこかサーカス的・・・ですかね。見た目は技を失敗したりしてお客さんに笑われて、面白いことやってって見せてますけど。「あんなん誰でもできるわ」って思われてるかも知れないですけど、実は裏では地道な練習、下積みがあってできるという、隠れた努力っていうのはすごいと思います。」
(外国でプロレスの経験があって、国内では初めての経験ですよね?いかがですか?楽しいですか?)全然違いますね。楽しさは何もないですね。楽しいというか・・・今は必死ですね。楽しいということで言えば、外国でやってた時の方が楽しかったですね。気楽にというか、今思うとプロレスっていうことをそんなに真面目に考えずに、どこかプロレスごっこの延長みたいな感じで。ここは真面目にやらないとついていけないですね。」
(ブレーンバスターで投げられたのは初めてですか?)いや、2回目ですね。ホンマに目の前が真っ白になりますね。ワン・ツー・スリーで見てたら返せると思うじゃないですか。ホンマにバーンとやられたら、「アーッ!」という間にスリーカウントですよ。あれを2コンマいくつで返せるっていうのがいかに難しいか。投げられてみたらわかりますよ。見てるとやるのとは大違いです。」
(11月24日、大阪プロレス選手権試合・村浜武洋戦後のコメント)
パンクラス
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(冨宅選手について、デルフィン選手から見ていかがですか?)そうですね。こういった水と油の団体が大阪プロレスのリングに入り込んでくれたという、変な意味での勇気がすごいなと。まあ、うちにはえべっさんとかいろんな選手がいますけど、こうやってパンクラスっていう違う団体から、異種というかホントに違った団体から来てくれたっていうのがウチとしては嬉しいし、すごく大阪プロレスにとっても良い展開になっていってるなと思いますね。」
(デルフィン選手と冨宅選手との対戦っていうのはどうですか?)僕が第一線でやってたら戦いたいんですけどね(笑)。ちょっと今は楽しいプロレスをやってるんで。冨宅選手が楽しいプロレスをやるんだったら全然かまわないんで。U.W.Fルールではなくプロレスルールでね、楽しくできたらいいなと思います。」
(冨宅選手は大阪プロレスに続けて参戦したいという希望がありますけど、その点はいかがですか?)それはもう全然OKです。彼も堺市出身なんでね、ホントの同じ大阪なんで、いつでも上がれるときに上がってもらって。今日は村浜と戦いましたけど、ウチには他に岸和田愚連隊っていうワケのわからんガキどもがおりますんでね、そういうのと戦ってみても面白いんじゃないかと思います。」
(11月24日、大阪プロレス後楽園ホール大会後、スペル・デルフィン選手のインタビュー)
パンクラス
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「(石川選手とは)仕事として同じ場所(リング)に上がるのは、10年、11年ぶりぐらいで、(藤原組では)2年ぐらいですか。でも、石川選手とは密度の濃い2年間を一緒に過ごしてるので、だから、久しぶりに会ってもそんなに久しぶりって感じはせえへんし、まぁまぁOKだったんじゃないですかね。呼吸は合ってたと思います。」
(石川雄規:まさに僕達が求めていたきちんとしたレスリング、そして激しいレスリング、さすが先輩なんで。もし可能であれば、私が来年やる興行に出ていただけたら嬉しいなと思います。)それはもう是非。石川選手も自分でやって、頑張ってるなっていうのは雑誌を通じて見ていたので、そういう部分では、僕のほうが1年半ぐらい先輩ですけれども、僕の経験していないことをいっぱい経験していると思うので、そういう部分でも先輩・後輩はないし。年もほとんど同年代で、同じ仲間としてリングに上がれたので、お互い遠慮もなかったし、良い感じだと思いますね。こっちから逆に僕でよければ、何かお手伝いできることがあれば、お願いしたいですね。」
「久しぶりにデカい人、パワーのある人とやったら力負けしますね。デカい人とも、こういう場とかもそうですけど、やってみたいですね。すごい遠慮せずにバシバシきてくれたんで。逆に僕のほうが遠慮してたのかなって。さすが前田さんのところの選手やなっていう、肝がすわっていると言うか、気持ちがあると言うか。またやってみたいですね。」
(12月28日、DEEPファン感謝イベント・SAEKI祭り後のコメント)
パンクラス
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○○選手のコメント)と、末尾に明記されていないものは、冨宅選手ご自身のことばです。
正確な情報は、パンクラスオフィシャルサイト等でご確認ください。

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