読むたかく Vol.1
(93年〜97年)

こ   と   ば 出  典
93年
(平成5)
「試合をするのは一年半ぶりで、入門してからデビューするまでよりもあいてます。たぶん、緊張すると思いますが、落ち着いていきます」
(8月27日、パンクラス旗揚げ戦カード決定に際しての記者会見)
週刊プロレス
号数不明
「今日はありがとうございます。・・・(涙で言葉にならず)。一度、ドン底を見た人間の強さを見てください!」
(9月21日、パンクラス旗揚げ戦入場式での挨拶)
週刊プロレス
号数不明
「泣いたらアカンと思ったんですけどね。みんなの挨拶を聞いているうちに我慢できなくなって・・・」
(9月21日、旗揚げ戦後のコメント)
「いつもは会場に来て、入場式が始まってから緊張してくるんですけど、今回は二、三日前から、試合のことを考えているだけで体が熱くなって・・・こんなに緊張したのは初めてです。目標?僕はそんなに器用なタイプでないんで、長い目で見てもらいたいな、と思いますけど・・・船木さん、鈴木さん、シャムロックがいて・・・順番で言えば、僕がその三人にどこまで食い込めるか・・・。必ずそういう日が来ると思います。それがなければパンクラスはある意味では終わりだと思います」
(9月21日、旗揚げ戦後のコメント)
週刊ゴング
号数不明
「冨宅にとっての本当の意味での苦しさっていうのは、これからだと俺は思うんです。復帰してからも絶対に壁が来るんですよ。その時、どうするか、ですね。」
(旗揚げ戦を分析して、船木選手の談話)
週刊ゴング
号数不明
94年
(平成6)
「ボクの名前でお客さんを呼べるようになったらいいと思う。それは分かっているんですが、今一つ期待に応えられないというのが、もどかしい・・・」
(1月19日、ビーザック戦後のコメント)
週刊プロレス
号数不明
「今日、冨宅がヒョウ(柄)みたいなタイツをはいてきたんですけど、あれは藤原組を旗揚げした時にアイツが作ったタイツなんです。なんか、リングに上がった時にそれを思い出しまして、“ああ、そういえばコイツ、ずーっといっしょ(にやってきたん)だな”と思って。」
(3月12日、冨宅戦後の鈴木選手のコメント)
週刊プロレス
号数不明
「デルーシアに勝ったぞ!トーナメントに絶対出て、優勝します!!」
(7月26日、デルーシア戦後のマイクアピール)
週刊プロレス
号数不明
(船木が負けた相手に勝ったことについて)そういう意識がないといえばウソになるけど、お客さんから見ると、そういうふうになるのは仕方がないけど、単純に強い弱いという目安がないと思うんで。やっている僕としてはそういう小さいことで・・・という気持ちはありますけどね。船木さんはこの間の試合でたまたま負けただけであって、次やったらまた負けるとは限らんし」
(7月26日、デルーシア戦後のコメント)
「つい勢いで“優勝を狙う”と言ってしまいましたけど・・・無理と決めつけてやるわけじゃないですけど正直に自分の気持ちを言えば無理と思います。今の感じだったら。今は選ばれただけでもいいというか・・・」
「僕は、たとえ時間がかかっても、地道にやっていきます。レスラーになって、一回くらい、いいことがあればいいんじゃないかっていうくらいの開き直りでやっていいかなって。僕はそういう性格なんです(笑)」
(7月26日、デルーシア戦後のコメント)
週刊ゴング
号数不明
「いいにしろ悪いにしろ、今回の冨宅は気合が入ってましたね。いつもの倍くらい練習してて、廣戸さんの所にもいつもの倍くらい行って、おまけに試合前、ユンケルを飲んで(笑)、完全態勢で向かっていきましたから。まあ、一番うれしかったんじゃないですか。オレもうれしかったし。こういうのがあるから、やってて楽しいんじゃないですか」
(7月26日、その日の試合を振り返って、
船木選手の談話)
週刊プロレス
号数不明
「パンクラスは自由な団体です。選手ひとりひとりが自由に考えて、自由に発想して、自由に試合をしています。選手ひとりひとりが何を考えて試合をしていくのか、何を目指して試合をしていくか。そういうことをしっかりと皆さんの目で見きわめてください」
(10月15日、両国国技館大会入場式での挨拶)
週刊プロレス
号数不明
95年
(平成7)
「今日は初心に戻るために、第一試合出場をお願いしました。これからも初心を忘れずに進化していきたいと思います!」
(1月26日、サーに開始23秒でのKO勝ちを収め、マイクアピール)
週刊プロレス
号数不明
「12月の両国国技館の二日目に二階の後方席から観戦していて、選手の発する光とか勝敗に関係なく印象を残すことがプロレスでは大切だと思いました。その意識をいつの間にか忘れていて、吹っ切るつもりでイチから始めるつもりで第一試合に出してもらいました。冷めた部分も全部吹っ切ってデビュー戦の時のコスチュームを引っ張り出してUWF時代の気持ちを思い出すつもりでした。
 今年一年の目標は自分を変えるというテーマでやりたい。実は、これを試合の前日まで悩んでたんです。夜寝るまで、ずっと考えていて、試合の順番については今日、第一試合にしてもらうように頼みました。何かで変えていかないといけない。いいスタートになったかもしれませんね。」
(1月26日、サー戦後のコメント)
週刊ゴング
号数不明
「ドロップキックやってきたから、あ、こんなもん簡単にスカせるなと思って。で、パッと来た時にオレはヒザ出したんですよ。でもそれはちょっと不発だったんで、すぐ首取って。その時、これは完全取れたなと思いました。だから・・・アイツはなんかやっぱり、自分の殻を破りたいっていう気持ちがあって、あとはプロレスにあこがれて、プロレスラーにあこがれてきて、それでプロレスに入って、自分なりのプロレスラーっていう像があると思うんですよ。それをずっとやっぱり、心の中に秘めていたと思うんですよね。今日はそれと決別したんじゃないですかね。真実の姿をこれから求めていくと思うんで、自分の夢の姿というのはすべて今日までで、おそらく崩れたと思うんですよね。だからリング上で最後、なんか髪切ったらしいですね。だからアイツも来年から変わっていくと思いますよ。
 自分はこれでいいんですかねって言ってきたんです、アイツが。だから、オマエは今日、100%の力出したんだろ?って言ったんです。(冨宅が)ハイ、出しましたって言ったから、じゃあ、それでいいんだ。」
(12月14日、冨宅戦後の船木選手のコメント)
週刊プロレス
号数不明
96年
(平成8)
「外見とかコスチュームとか名前とか変えるのは誰でもできるんですよね。内容を変えるのが難しいんですよ。髪型とかまったく同じで「今日はちょっと違うぞ」と思わせるのが一番なんですよ。何だかんだいって、キャリアは上から3番目なんですね。だから個人主義に走るのもちょっとなと。
 名前ですか?字のごとく、飛んで駈(か)けるという意味です。ちょっと地味なんで(改名した)。おととしも変えようかと思ったんですけど、やっぱり本名にこだわりがあって・・・去年の暮れにまた突然、思ったんです。去年はプロレスラーになって初めて、辞めようかなと思ったほどでしたから・・・。
 もう試合をふり返って考え込むとかはないと思います。それくらい充実してますから。今はもう、次の試合どうしようかなって考えてますから。前だったらちょっとひとくぎりと思ってましたね。これが当然なんです。極端な話、契約が単発じゃなく年間契約だったから、練習しなくたって同じなわけですよ。何もせずにお金をもらってたようなもの。プロレスラーとしても人間としても最低だったと思います。でも、今年に入ってから練習がしたくてしょうがない。去年と違って、生きてて楽しいですよ」
(1月28日、ダイク戦後のコメント)
週刊プロレス
号数不明
[長く言葉を交わしていたが]アイツがなんかいろいろ言ってきて、今日は勝ちたかったって言ってきて。最後はボクがこう言ったんです。ねえ、2人でいっしょに手をあげよう・・・へへへ。
[冨宅が涙を流していたが]オレは冨宅じゃないんで、冨宅に聞いてきてください。気がつきましたよ。冨宅、ネクラですからね、基本が(笑)。でもすごく明るく感じましたよ、冨宅が。冨宅は常にこう、こもっちゃうからね。今日はなんか、試合前も試合のあとも・・・言葉じゃ言い表せないけれど、すごく明るく感じましたね、冨宅が。ホントに変わったんですね、アイツね。(カオツキが)イキイキとしてたし。切羽詰まったカンジじゃなくやるぞ!っていうカンジの顔してましたからね。」
(3月2日、冨宅戦後の鈴木選手のコメント)
週刊プロレス
号数不明
[試合後に言葉を交わしてたが]今日は勝ちたかったけど悔しいみたいなことを言ったと思います。
 鈴木さんの間合いになってたですね。なんか、鈴木さんの網の中に入ってしまっているようなカンジだったですね。だから、なんとか逃げようとしたんですが・・・海の中で泳いでいるんですけど、その上で網を持っているような。チャンスと思ったら一気に上にあげられるってカンジでした。ボク、あれもこれもといろいろ考えたんで。
 いつも入場の時はうるうるくるんですけど、今日、鈴木さんが途中で立ち止まったじゃないですか。もう、なんだかうるうるして・・・」
(3月2日、鈴木戦後のコメント)
「気力では冨宅が一番だと思いますけどね。技術的な差は、それほどないと思うんですよ。結果的には誰が優勝してもおかしくないんだけど、僕があえて一人、こいつだと言うんだったら、冨宅なんですよ。
 冨宅が「今度のコスチュームはこんなのを着るんですよ」とか「ヒゲを伸ばすんですよ」「今度、名前を変えるんですよ」とか言ってきた時に<名前とかを変えちゃっても、お前、何も変わってないじゃないかよ>と正直な話、ずっと思ってましたよ(笑)。僕は、冨宅と話す機会が、あんまりなかったんですけどね。それを僕が言って落ち込ませたら、ダメなんじゃないかと思ってたしね。僕が冨宅のためになることを言うんだったらいいんですけど、髪形も床屋に行けば変わるし、服装だって買ってくれば、変わるんだし、本当に変わらなきゃならないのは心の中だと思いますから。彼は変わったと、凄くいい感じで変わったと思いますから、今回はイチ押しです。」
(4月7日のランキングトーナメントの展望を語って、
鈴木選手の談話)
週刊プロレス
号数不明
(以前、船木さんが冨宅さんに「向いてないんじゃないか」と言ったらしいですね。)「ああ、当たってる」って感じだったんで、ショックはなかったですよ。僕はパンクラスが出来てから、それはずっと思いながらやってましたからね。別に悲観的というものじゃないですよ。基本的に勝ち負けに向いてないと思うんですよ。でも、現実に、それをやりたいと思ってるし、これしかないじゃないですか。
 結構、僕は気にするタイプじゃないですか。失敗したりとかすると一つのことで悩んで、ずっと引きずってそのまま死んでいく。そんな生き方って、気色が悪いじゃないですか。それやったら苦しくてもいいから、僕を育ててくれた親の面倒をみるんやという気持ちで、生きていきたいですね。だから、パンクラスの人生をまっとうしたいです。アルティメットとかバーリ・トゥードがあって、そういう勝ち負けは向いてないけど、それをやる時がくれば、拒否はしないと思います。」
(12月15日の武道館大会を前にしてのインタビュー)
週刊プロレス
号数不明
「ありがとう!!」
(12月15日、半年ぶりの復帰を果たし、試合後、リング上から四方に向かって叫ぶ)
週刊プロレス
771号
「義理でも何でも、あれだけの人が拍手してくれた。自分みたいな人間を、あれだけ見てくれる人がおるんやなって。それにすごく感動したんですよね。
 泣かんとこうと思ったんですけどねえ・・・」
(12月15日、金宗王戦後のコメント)
「マイク・アピールしようかと考えてましたが、生の声の方がいいと思って。ライブ感覚で」
(12月15日、金宗王戦後のコメント)
週刊ゴング
号数不明
97年
(平成9)
「お客さんは、ああ、またやったかというカンジで見てるんじゃないですか。その雰囲気は伝わりましたよ。見ている人ももどかしいと思うんですよね。やってる自分がすごくもどかしいから。
 なんか今日はホンマに不思議な日ですね。負けたという実感が湧いてこない。気持ちは全然暗くないんですけど、なんかこう・・・無重力状態ですね。スランプじゃないです。
 今年はなんと言われようと全試合に出たい。意外と全試合出たのって、分裂やらケガやらで2年ぐらいしかないんで。キャリアはあるけど試合のキャリアはみんなと変わんない」
(1月17日、渋谷戦後のコメント)
週刊プロレス
776号
「ここのパンクラスのリング、いつでも用意します。オレと闘え、垣原賢人!」
(2月22日、ヘイガー戦後のマイクアピール)
週刊プロレス
781号
「こんなに(マスコミの)人が集まるの、何年ぶりですかね。
 単純なことじゃないですか。インターが解散したっていっている。まして闘う場所がないじゃないですか。契約もなにもないんやから可能なことですよね。こんなおいしいチャンスを、逃がすわけにはいかんと思って。
 いっしょにずっとやってた人間ですから、いっしょにやるのがベストですけど、特別出場みたいな感じで何度か出てきてくれれば・・・」
(2月22日、ヘイガー戦後のコメント)
パンクラスに入って良かったと思うこと
「正々堂々と生きられる事」
逆に悪かったと思うこと
「自分自身に疲れる」
(日本人選手直撃アンケート)
パンクラス公式読本「盾」
「僕はプロレスが好きで、この世界に入りました。この世界でメシを食っていこうと思って、プロレスの世界に入りました。勝とうが負けようが、誰になんと言われようと、まだまだやめてたまるか!ここのリングに上がり続けるぞ。ここのリングは僕の人生なんですよ。俺には俺のパンクラスの愛し方があるし、まだ、このリングが好きな限りは、リングに上がり続けるぞ」
(8月9日、窪田戦後のマイクアピール)
週刊プロレス
809号
(Uや藤原組の方が良かった、と思ったことは?)正直言って、ありますよ(笑)。何より精神的な部分がそうなんですけれど、あのまま続いていれば楽だっただろうな、って。でも、それだと自分の中では絶対に納得できませんし、世間に胸を張れなかったでしょうね。今はどこに出ても恥ずかしくないし、親兄弟、親戚にいたるまで、結果はどうであれ胸が張れるな、と。ここまで充実はできなかったと。それは言えます。
 UWFでデビューした選手というのは、世界中探しても3人しかいないんですよ。あれだけ凄いブームを起こした、格闘技ブームの元祖となったプロレス団体ですし、今振り返ってみれば、憧れて、自分の好きな団体に入れて良かったと思います。入りたくても入れなかったし、他のプロレス団体にしても、空手やシューティングにしても、UWFに憧れてそれを始めた選手っていますよね?それを考えたら、みんなが憧れた団体に入れて、そこで練習できて、試合して、最後までいれたというのは幸せでしたよね。」
プロレスの達人
11号
「UWFを解毒せよ!」
「逃げ出そうと思えばやめられる。アマのインストラクターの道もある。でも続く限りはやろうと思う。(ファンの)風当たりは強い。でもやめろと言われてもやめたくなかったらやめない。ボクは流れるままに気持ちの赴くままにやっていく」
(11月16日、長谷川戦後のコメント)
週刊プロレス
826号
(「風当たりが強い」とも言ってましたけど・・・。)試合後のアンケートやパソ通でも評判はよくないですからね(苦笑)。でも、それはそれでしかたないと思うし、それが当たり前やと思うし。確かに、いい気分はしないですけど、試合が組まれる限りは見たくない人でも、とりあえずは見ざるを得ないじゃないですか。でも、パンクラスの試合は見ていて疲れるらしいですから、ちょうど休憩タイムでいいんやないかっていう感覚ですよね。ただ、こういうことを言うと、また「プロとして失格」って言われそうですね(苦笑)。でも、プロですから。これで飯食ってますから!!」
(後輩ということで言うと、去年の6月に、柳澤龍志選手に負けたのが最初ですよね。)それまで練習でも試合でも後輩に取られたことはなかったんですよ。それが初めて試合で取られて。いまの感覚からすればおかしくないんでしょうけど、やっぱり昔のプロレスを経験してる者としては、すごいショックやったですよね。」
「複雑な感じでしたよ。柳澤が入門した時から見てるじゃないですか。だから、昔は簡単に勝てたのになあって。「悔しい」っていう一言じゃないんですよね。」
(今後、田村戦や垣原戦っていうのはどうですか?)前は思ってましたけど、いまはないですね。友達じゃないですか。だから、あえて友達同士で殴り合いをしなくても・・・。これからホンマに闘う運命にあれば、そういう流れになっていくでしょうし、そういう時が来ると思うんですよ。」
「昔カール・ゴッチさんが「それまでは何を食べてもいいし、どんな練習をやってもいいけど、26になったら体のことを考えろ」って言ってたんですよ。で、ホンマに26になったら体力と、普段の練習での気力がガクッと落ちたんですよね。
 で、俺だけかと思ったら、船木さんも鈴木さんも高橋(義生)も、同年代の連中がみんな言うんですよ。それが第一段階で、今年28になってから、さらに落ちましたね。何て言うんですかね。闘争心がガッと出てこないっていうか。怪我の回復が遅いとか。
 (やっぱり引退とか考えますか?)考えますね。」
「当然、超有名になりたいとかっていう気持ちもありますけど、僕はマイナス思考っていうか、マニアック思考も強いんですよねえ。ラジオの深夜放送やってるような。だから、船木さんとか近藤はテレビで言えばフジテレビのゴールデンタイムなんですよ。でも、僕はテレビ神奈川の昼11時とか(笑)
 それでも見てる人はいるんですよ。だから、(冨宅の試合も)世の中には見てくれてる人も何人かはおると思うんですよ。
 だから、そういう人が1人でもおったら、その人のためにやろうっていう気持ちもありますよ、ええ。そういう存在であってもやっていけてるんで、それはそれで個人的には嬉しい部分もありますしね。」
(11月20日収録のインタビュー)
紙のプロレス
7号

○○選手のコメント)と、末尾に明記されていないものは、冨宅選手ご自身のことばです。
古い週プロ、ゴングは、友達のYちゃんからもらいました。本当にありがとう。

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