佐渡金山(さど きんざん)   (2/4)     

道遊の割戸道遊抗・第三駐車場大立竪抗宗太夫抗・無宿人墓地・南沢疎水
旧選鉱所跡・相川郷土博物館・旧佐渡奉行所


観光坑道からもうちょっと奥へ行った所の左側にある。このまま奥へ行くと”大佐渡スカイライン”に行く。 この竪坑は東西3キロ、南北600mの範囲に分布する坑道群のほぼ真ん中に位置する。深さはこの地表面から約350mの地中までに達している。当然、海面下○○○mまでいっている計算である。櫓の頂上にはきっちりと三菱のマークが。


斜坑だろうか、金網でふさがっているが。手前にゲートがあり入れない。


       佐渡金山
大立竪坑(おおたてたてこう)
明治維新以降明治政府は佐渡鉱山を国の直轄鉱山とし欧米より(?)に技術を導入し鉱山の再開発を計りました。大立竪坑はドイツ人アドルフ・レー等の企画実施により明治8年(?)が開始され明治10年に完成された日本最古の洋式竪坑です。竪坑の断面は18尺(5.45m)×8尺(2.42m)の矩形で深さは約500尺(150m)であり動力は当初は馬絞車と称する馬力巻上が行われたが数年にして蒸気機関を使用するようになりました。この竪坑はその後幾多の変遷を経ながらも平成元年まで鉱山の中心施設として活躍しました。


大立竪坑の並びにはいくつかのこのような昔の素掘りの跡がある。


妙見山の頂上付近から見下ろした銅遊の割戸。正面の海岸は相川の町並みだ。


銅遊の割戸を反対側から見た風景。Rは写真V字型のあたりをアップで撮ったもの。こんな狸掘りの穴がいたるところにある。


観光坑道 ”宗太夫坑”
宗太夫坑の入り口。前は大型観光バスが止まるぐらいだから結構広い。


ご存知、鉱山マネキン。Lは水引き人足でしょうか。Rは食事中?



写真の通りです。


この日、外気はなんと35度・・・。ハハハッ 笑うしかない。


これは水対策である。鉱山では必ず「水」に悩まされる。それだけ地下水が豊富ということなのだが。農作物には恵みの地下水もこと鉱道内では悩み以外の何物でもない。作業の非能率のみならず落盤の危険もある。水上輪以前は手動の”箱桶(はこひ)ポンプ”という押したり引いたりするもので断続的だったが、この水上輪は回転さすもので排水を連続的にできる。当時としては”ハイテク”だったと思う。後の写真にあるが相川郷土博物館に現物が保存されている。なかなか効率のいいものだった。


これはもちろん金、キン、Auですよ。たしか12キロぐらいだったかな。この直径10cmぐらいの穴から道具を使わずに素手だけで金を外へ出せたら何か商品をくれるらしい。(金そのものをくれるんだったら必死にやるんだがネ・・・。 笑 ) でもそこで聞いた話、「前に女の子が出したらしいよ・・・」とのこと。あなたは信じる?


灰吹法の説明は旧佐渡奉行所内で展示物で再現していた。


観光坑道のほぼ最後あたりにあったマネキン。背後のタテナガの模様は金の鉱脈をあらわしているらしい。もちろん模型ですが。


Lは坑道の出口。急に暑くなる。Rは最終出口。


Lは駐車場を挟んで対面側にあった素掘りの穴、「無名異坑」。Rは広い駐車場。


青盤脈(あおばんみゃく) 道遊脈(どうゆうみゃく)


これは第二駐車場の脇にあった”角行坑”。比較的新しいものかトロッコの軌道が残っている。軌道は奥の方まで続いていた。ここの南東方向、つまり駐車場の下をくぐって右手方向、高任竪坑の脇にあった坑口がこの角行坑方向に向いている。多分、地下で繋がっているのだと思う。

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