しばらく鉱山めぐりを我慢していると何かアタマの中がムズムズしてくる。しばらく・・・と言ってもそれほど長くではないが。今回は全行程を高速を使わずにシタで行くことに。ターゲットポイントは伊勢自動車道の「勢和多気IC」の近くなので高速で行けば楽なんだが財布の中身が・・・トホホッ。 (;_;) 状態なので。
と言うことでムズムズ頭を直しに(ほんまかいな?)行ってきました。
水銀(元素記号:Hg、原子番号:80、比重:約13.5)の歴史は古いしまた使用範囲も広い。。一般には縄文時代にはすでに顔料として使われていたと言う。顔料とは簡単に言うと塗料だ。その各種の色の元になる物質だ。水銀はその原鉱石である辰砂(朱砂)の赤っぽい色を利用して赤の顔料として使われていた。水銀と言えば私などは水銀温度計ぐらいしか思いつかないがあの銀色の光沢のある液状のものが元は赤い石ころだったなんて自然て実に不思議だと思いませんか?と同時に古代人って直感力や観察力、洞察力がすごいんですね。他にも用途としてはたくさんありますが特に古代中国では”不老長寿”の薬としてもつかわれていたことはもう常識ですね。当時、埋葬された古墳などの骨から高濃度の水銀が検出されている。ちなみに誰もが知っている「秦の始皇帝」も水銀を服用していたと言う。日本でも時の朝廷周辺の人々は愛飲していたらしい。
話は変わるが小さな切り傷などケガをした時に最近はバンドエイドを貼ったりスプレー式の物で傷口を保護したりするが昔は赤チン(正式にはマーキュロクロム液)を塗っていた。(私は今でも持っているが) この赤チンに今は入っていないがかつては水銀が入っていた。子供心に赤いのは何となく納得したがキラキラ光る物があり”何かな?”と思ったことがある。たぶんそれが水銀だったのだろう。
金属鉱物の製錬でこれほど便利なものはほかにあまりない。ただし毒性を除いてはだが。第一に入手が比較的に簡単。そして多くの金属と溶けやすい性質がありアマルガムを造りやすい。沸点が低く(約350度ぐらい)分離(精錬)がたやすいなど考えようによっては精錬にうってつけの金属である。(ただし日本では現在は水銀は使われていない) 東大寺の大仏さん建立時の金メッキで大量の(丹生鉱山)の水銀が使われたことはあまりに有名だ。大仏にメッキ(鍍金)の金を定着させるために人足たちは手に持っている松明を近づけてその火で水銀を蒸発させた。当然顔は松明より下に離さないと蒸気を吸い込んでしまう。そういう注意はされたとは思うが(この時代には水銀蒸気の有害性はわかっていたのだろうか?)何せ時代が時代だけにどの程度のものだったか。察するに相当の水銀中毒犠牲者が出たことだと思う。
話がながくなってしまったが歴史を簡単に記しておこう。
・縄文時代か旧石器時代にはこの辺りで辰砂を採掘してそれを元に土器を造っていたらしい。周辺の遺跡から当時の土器の破片がみつかっている。ただ辰砂を土器の材料として使っていたのは分かるが水銀としてではないと思う。
・丹生鉱山で辰砂から水銀を取り出しのはいつからなのかよく分からないがこのページのテーマにもあるとうり奈良時代にはすでに始まっていたし最も出鉱量が多かったのもこの時代だ。後に江戸時代に入って採掘を試みたが失敗。1930年代半ば頃に入って北村覚蔵氏らによる写真の製錬装置が出来、生産も一旦は順調に進みそうに見えたがその後しばらくして没後の北村氏を継いだ中世古亮平氏も1956年に採掘をやめてしまった。
・1968年に大和金属鉱業(現、野村鉱産)が事業を継承し機械化もして本格操業を始めようとしたがまもなく1973年、閉山した。閉山理由は周辺の川の汚染とか鉱量の枯渇とかいろいろ言われたが真実はよく分からない。この後再開したという話は聞かない。 |