本山炭鉱  山口県宇部市長門本山大須恵    1/1
   もとやま                   Photo:2008.06



 本山炭鉱の詳細は下5段目の案内説明板に詳しく書いてあります。
MAPは宇部炭鉱のページを見てください。


 本山炭鉱坑口近くの石油精製所。一部この敷地の中に本山炭鉱時代の石炭積み出し用桟橋が今も残っている。道路から見えるらしいがあまりじっと眺めていると不審者扱いされかねないのでそのまま通過に。  


 ご覧のとうり現在はかつての坑口も完全に住宅に囲まれている。むろん元はこの辺り一帯全部炭鉱関連の施設でいっぱいだったことだろう。この坑口が下の説明にもあるとうり瀬戸内海の沖合い3キロまで深さ200mにまで及んでいる大斜坑の入り口である。


 忍び返しの中は完璧?にコンクリートで。


 坑口の後ろ側は公園になっている。つまり斜坑の上が公園と住宅と言うわけである。L写真の滑り台の右手の方がちょうど斜坑が海に沈む方向になるがちょうどその辺りにかつての炭鉱事務所があった。この公園自体はさほど大きくなく住宅開発に伴って出来た一種の子供用の公園といった感じである。周辺の町並みを見る限りこの保存坑口がなければこの辺がかつての炭鉱町であったことなど誰にも分からないだろう。


読めないので下に載せます。  
    市指定文化財
    旧本山炭鉱斜坑坑口
 本山地区の石炭の発見は江戸後期の嘉永年間(1848〜1853)に遡り須恵村の藤島清兵衛が後の本山炭鉱沖400m付近に石炭の露頭のありことを知り小船を出して毎年夏の干潮時を利用して石炭を採取したという故事による。
 明治30年宇部の渡辺祐策は本山炭鉱組合を設立以降、一の山炭鉱、本山炭鉱/株、大日本炭鉱/株、宇部鉱業/株、宇部興産/株、に引き継がれるが地質が悪くガスを伴う出水などの事故により97名の尊い命が失われた。
 この坑口は大正6年大日本炭鉱/株が主要運搬坑道として設け昭和16.年に宇部鉱業/株が完成させ昭和38年3月に坑口を閉鎖するまで使用された。
 坑道は沖合3キロメートル、最深部約200m、総延長約19キロに及んでいる。形状は鉄筋コンクリート造りで側面は石組み、特徴は坑口の忍び返しである。
 当市の工業の基盤となった石炭産業を伝える建造物として貴重なもので昔の面影を偲ぶことができる。  

                  市指定  平成10年3月23日  山陽小野田市教育委員会


 坑口近くの海岸ですがあるいはここが石炭を船に積み込んだ桟橋の跡だろうか?当時は鉄道の線路も長門本山駅止まりではなく桟橋まで延びていたらしい。
  普通砂浜といえば砂の色ですよね。それがご覧のように黒いです。L写真には砂の部分も見えますが殆どが黒いです。やはり石炭のせいでしょうか。宇部海岸の界隈にはほとんど炭鉱につきもののボタ山が見られませんがなんでもここの場合はほぼ全量を埋め立て地に使ったらしいです。ということは写真の黒い海岸の地下はボタなんでしょうね。漁業被害も相当あったと思うのですが・・・。  


 最寄の駅、JR小野田線「長門本山」終点です。道路と駅構内に柵も境目も何もありません。こんな駅いいですね。R写真の「長門本山駅」という駅名の架かっている場所を見て最初、自販機?と思いましたが待ち合い室でした。坑口までここから徒歩10分ぐらい。  




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