山口県宇部市沖宇部   宇部炭鉱   Photo : 2008.04   (1/1)
                                        


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・主な産出鉱物:褐炭(亜炭)  
・17世紀(江戸時代)初頭に炭層発見〜1967年(S47年)閉山  
・主な経営母体:宇部興産  


 宇部炭鉱は江戸時代の初期に発見され最初は小規模で採掘されていた。場所も今の常盤池(石炭記念館のある公園)であった。というのも常盤池がある時干上がって池底から江戸時代の採炭時代の遺構がたくさん見つかったらしい。宇部炭鉱というのはこの辺り一帯の長生炭鉱、沖ノ山炭鉱、東見初炭鉱、新浦炭鉱、本山炭鉱などいくつかの炭鉱群の総称である。本格的に大規模に採炭が始まったのは明治以降だった。特に太平洋戦争前からは軍需用にも大増産が叫ばれた。明治以降の採炭坑口はもっと海側により海底に向けて大斜坑を堀り進んでいる。今でも本山炭鉱の坑口がJR小野田線、長門本山駅近くの小さな公園で保存されている。宇部(小野田)炭鉱というのはほとんど全て海底炭鉱で出水で坑道を維持するにも相当難儀した。そういう環境だったので出水事故も多く1916年に東見初炭鉱で出水事故で235人死亡。1920年新浦炭鉱で33人死亡。1942年長生炭鉱で183人死亡。とはなはだ大事故が多い炭鉱であった。
 石炭の種類は美祢炭鉱のように良質の無煙炭ではなくどちらかと言えば低品質の褐炭(亜炭)だった。褐炭と言うのは石炭としてはまだ未成熟のもので炭化度の低い石炭のことである(褐炭より下を泥炭という)。だいたい炭素含有量が70〜80%以下(無煙炭は90%以上)でそれ以外は水分など不純物なので煙も多く発熱量も低い。ネーミングは色が褐色だから。当時褐炭は戦時中は物資不足故、軍需用にも使用されたが戦後は主に練炭や豆炭や学校のストーブなど民生用に使用された。  


 ・L写真:宇部炭鉱石炭記念館の外観。常盤公園の中にある。  
 ・R写真:常盤公園の中の様子。休日などはさぞ家族連れでにぎわうことだろう。  


 ・L写真:記念館の上にそびえる展望台。これは東見初(ひがしみぞめ)炭鉱にあった竪坑櫓をここに移設したものです。高さ:65m 
 ・R写真:操業当時、竪坑櫓に設置されていた巻き上げ機の大車輪。   


・L写真:バッテリーロコではなくディーゼルロコですね。後ろに連結しているのはグランビーでしょうか。
・R写真:これはなんでしょうか?何かのボイラーでしょうか?説明板を見るのを忘れました。  


 外に展示されていた竪坑での巻上機の外観。屋根がないので”野ざらし”状態だがなかなか趣があっていい。ただ傷みは激しいでしょうね。巻上速度:180m/sとはおそらく無負荷でしょうね。それにしても速い!  



 ・L写真:記念館の外に展示されているいろいろな採炭機械。写真右側のものは送気用のコンプレッサー。 
 ・R写真:”きけん”とありますが何がきけんなのでしょうか。詳しくは書かれていなかった。  


 ・L写真:6トンデイーゼルロコ。日本でも戦後1951年頃からバッテリー式に代わりデイーゼルになったようである。内燃機関は馬力は申し分ないがどうしても排気ガスの問題がある。閉ざされた坑道内ではその換気が最重要問題。特に宇部の場合、そのほとんど全部が海底炭鉱である。宇部沖の瀬戸内海の海底深くにその炭層がある。それゆえ換気も頭の上が海のため簡単にはいかなかった。宇部炭鉱群のひとつ、長生炭鉱などは今でも海岸からすぐ近くにピーヤと呼ばれる大きな喚気口が残っている。宇部の場合、「入気」専用通気口と「排気」専用通気口が必ず坑道内では平行して設置されていた。そんな風になっていたからディーゼルなど内燃機関でもOKだったのだろう。
 ・R写真:「
昭和11年5月創業 沖宇部炭鉱」の看板。  


 石炭記念館の地下に観光用の模擬坑道がある。かつての斜坑道だったように思うがはっきりしたことは覚えていない。  


 模擬坑道内の様子ですが人形が立ち向かっているのはご存知、ドラムカッター。炭鉱はこの新兵器の登場で生産力が飛躍的に上がった。一度、夕張炭鉱でこれが実際に動いているところを間近に見たことがあるが騒音もすごいがその迫力と回転のすさまじさに驚いた。結構思っていたよりも回転は速い。相手が石炭で比較的やわらかいからなのか。  


 上下計6枚の写真はいつごろの時代か説明が無かったように思うが・・・。私の見落としなのか。おそらく大正か昭和に入ってからではないかと思う。明治ではないと思うのだが。上のM写真の長身の作業員などは天井が低くてさぞかし辛かったろうと思うが。  


下のエンジンを載せていた天神丸の写真。


 ・L写真:懐かしいですね。焼玉エンジン。2サイクルディーゼルでしょうか。空気を圧縮加熱して高温になった所に燃料を噴射して自己着火させ爆発させる。今では技術の向上で何の問題も無くセル一発でかかるがその昔はエンジン一台をかけるにもほとほと手を焼いたものである。この焼玉式も当時のエンジンはなかなか普通にしていては爆発させるほど温度が上がらないので最初だけ補助的に外部からシリンダーのてっぺん部分(ここが燃料噴射部分でこの部分が球形だったのでこの名がついた)をバーナーであぶる。その予熱で最初の爆発を発生させる。一度かかればその燃焼熱で後はOK。昔の漁船なども同じ焼玉エンジンで予熱にバーナーのようにおしゃれなものではなくエンジンの上にどんごろす(ムシロ)をかぶせガソリンを振りまいてそれに火をつけて予熱がわりにした、と言う話を聞いたことがある。とても今では考えられない光景だ。また特に寒い冬の朝は本当に難儀したと言う。
 ・R写真:懐かしいの一言です。映画のワンシーンによくある「全速前進!面舵いっぱーい!・・・シャリシャリシャリ〜ン」と針が回転する。船が大きく傾きエンジン音が、ダムダムダムダムダム・・・・と船体を響かせる・・・・。なんとなくこんな感じでしょうか?(ちょっとやりすぎ・・kana)  

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おしまい