万田坑(熊本県荒尾市万町) (1/3) |
まんだこう 撮影:2006.11 |
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ここ三井三池炭鉱・万田坑はいわゆる数ある三池炭鉱の坑口の中でも早くに開坑され1902年(明治35年)、日露戦争の2年前に採炭が開始された。一時は同炭鉱群の中でも出炭量が多い方で積極的に近代化を進めた結果であろう。採炭方法は三川坑や宮の浦坑のような斜坑ではなく垂直に地下に降りる竪坑方式である。そのための櫓(やぐら)は二基あったが第一竪坑櫓は1951年(昭和26年)閉坑後、1954年に櫓だけ北海道の三井芦別炭鉱へ移設された。現在あるのは第二竪坑櫓で約27メートルの高さ。これで地下約260Mまで降りて採炭していた。閉坑後も長く他の坑道に資材などの運搬やまた排水の為に稼動していたが1997年(平成9年)にすべて閉山。翌’98年に国の重要文化財に指定。 |
正門前からの全景。保存が決まってよかった。 | 万田坑の正門(だと思う)の横にあった案内板。 |
左側の電柱の向こう側あたりに万田坑名物といわれた大煙突が二本あったらしい。 | ケージなどを上下さすためのワイヤー巻上機室。レンガ造りの立派な建物である。 |
内部から外を撮った。 | 同場所あたりから櫓を撮影。 |
正門の金属柵。ここは閉まっていた。ので・・・ | ちょっと左に行くと地元の人らしい方が散歩していたのでついて行くとなんとなく入れてしまった。 |
正門前の広場ではゲートボールをしていた。 | 別の角度から撮影。 |
焼却炉かなにかの釜の跡でしょうか? |
正門から左側に行ったところ。2006年秋頃にはこんな風になっていた。なんとなく保存のための整理を始めたばかりのような風景だった。 |
焼却炉の跡らしきレンガつくりの壁と同じ並びにこんな何かのコンプレッサーらしき狭い部屋があった。まだ油の匂いがしていた。黒板は同部屋の壁にかかっていた。”異常不認”、異常は認められず、正常と言うことか・・・・。 |
石炭を積んだトロッコ用レール。右側は切り替えも。右へカーブした先は第二竪坑櫓の方向。 |
あまりにたくさん撮ったので何処の場所か忘れました。あしからず。多分大煙突の辺りか・・・。 | やぐらを見上げた光景。やはり存在感がある。 |
真下から見上げたところ。塗装が年月により剥げてはいるがまだまだ現役で使えそうな感じがする。右側の基礎部分はさすが昔のつくりだ、ビクともしていない様子。鉱山めぐりをしていて思うのはこういった基礎部分のコンクリートはどこもみな””ここまで頑丈にする必要があるのか?”と思うぐらいに頑丈だ。解体の時は逆に大変だとおもう。 |
「巻上げ機室」隣の建屋の内部。レンガつくりって以外と丈夫なんですよね。 |
これは映画「三池、終わらないヤマの物語」のロケ中の看板か?。それとも他の映画のものか。 |
これは何のバルブでしょうか? | 忘れました。とある部屋です。 |
”ニ坑口”とは”第二竪坑櫓”の坑口のこと。この通路の先にある。一部は真っ暗だった。怖いぐらいに。(上の写真は照明加工している。) |
ここは風呂場。タイルではなくコンクリートの打っ放し状態? | ここは充電室。カンテラ(キヤップライト)用バッテリーのチャージに使う。「カンテラ」はちょっと古いか・・・ | 充電室の反対側内部。 |
ニ坑坑口。 |
第二竪坑櫓の坑口の跡。今は当然コンクリートで塞がれている。このコンクリートの下に約270Mもの深さの坑口があるのかと思うとなんとなくゾッとする。と同時にそんな地中深くにまで仕事とは云え死と隣あわせの環境下で働いていたたくさんの坑夫たちに敬意を表したいと思う。このコンクリートは270Mもの深さ全部を埋めているのか?それとも地表部分だけで下は空洞か?あるいは下は土か何かで埋め戻しか? |
ニ坑口の真下から上を見上げたところ。 | ”ニ坑口”とそばの”坑口信号所” |
”T”に”S”の字が重なっているのは「トン」だと思うけどSは何でしょうか。トンではないのでしょうか。 | 信号所内部。右側のは上がブレーカーと中が動作表示灯か?下が非常時のベルとサイレンか? |
ウイヤー巻上げの合図係りでしょうか。相当責任の重い部所だったんでしょうね。事故に直結の可能性大でしょうから。 | 約90年間のお勤め、ご苦労さまでした。人間なら30年も前に定年だろうけど。 |
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