秋田県鹿角郡小坂町小阪鉱山字   小坂鉱山   その1(全2ページ)    
                                 こさか こうざん              探訪日:2007、10



 小坂鉱山の発見は周辺の尾去沢や阿仁などよりも遅く1861年に地元、小坂村の農民が発見したといわれている。1861年といえば江戸時代末期である。この5年後の1866年には佐渡金山の近代化を計り日本の鉱業界の生みの親としても有名な大島高任(おおしまたかとう)氏がここ小坂鉱山を調査し”南部藩に稀有の良山あり”と報告。翌年に藩は氏に鉱山開発を命じる。がしかしその翌1868年の戊辰戦争の影響で鉱山開発が中断されその後しばらくは荒廃する。維新後1870年になって明治政府は官営となった小坂鉱山の経営を再度、氏に命じる。氏は当時、鉱山学先進国と言われたドイツを視察。帰国後小坂の近代化、特に製錬技術の近代化に尽力する。がこの頃から氏は官命により佐渡金山に転任となる。
 1885年、経営が官営から藤田組(現、DOWAホールディングス)に移りより積極的な近代化で採鉱量も飛躍的に増える。と同時に1900年頃、黒鉱の製錬に成功し新精錬所の大工事が始まる。その後もろもろの公害なども出しながら1902年には別子、足尾とともに”日本三大銅山”としての地位を得る。1907年(明治40年・日露戦争終了2年目)には年間銅生産量国内TOPとなる。他鉱山同様、小阪も戦時中は増産につぐ増産で乱開発がたたったのか戦後しばらくは低迷していたが1959年に”内の袋坑床”が発見され息を吹き返す。がそこも長くは続かずついに1990年(平成2年)、130年間続いた小阪も枯渇、閉山となる。
 話が前後したが小阪鉱山の主要産出金属は発見当初は金(Au)であったがまもなく銅(Cu)に変わる。後に黒鉱になってからは銅に加えて亜鉛、鉛、金、銀、バリウムなどレアメタル類も取れるようになった(2ページ目の最下段に写真あり)。尚、現在は各種金属の国際相場が高騰しているせいか同和鉱業が採掘はせずにリサイクル工場として、また輸入鉱石の製錬工場として稼働中である。




現役バリバリの製錬工場。車も人も煙も騒音もそのほか何もかもが現役稼働中である。もちろん工場の中には入れない。一度見学を申し込んでみようかな、と思うが十中八九ダメだろうと思うのでまだ一度もしていない。こんな時代だから変に怪しまれるとまたイヤなのでそのままだ。何かの研究会みたいな格好で複数人数で申し込めば扱いもまた違うかもしれないが。


今風の建物の中に唯一チョコネンと石垣の上に明治か大正時代を思わせる建築物が。今は使われているかどうかも分からないが様子から見るとなんとなく物置ぐらいには使っているんではないだろうか。あるいはかつての鉱山事務所か?詳しくは分からない。


RとLの写真の道路は同じ。ほぼ同じポイントから撮ったもの。右は若干ズームアップで撮っている。R写真の右側の建物は現在の鉱山事務所。下三枚目の写真のものである。L写真の”KOSAKA”のロゴはよく写真で見るものである。

これは小阪鉱山の写真でよく見る明治時代の建造物。当時の電錬場、工場である。と書いたが小生も”電錬場”というものが何かよくわからない。ネット検索でも解説がない。みなさん知らないのか、あるいは”そんなの知ってて当然だろ!今更何を言うてまんねん”ということか?勉強不足をハンセーDESU。そこで勝手に想像すると電錬場だから「気で製する工」では?ハハハッ。(そのままやないか、もうちょっとひねれや、と言われそう。)
でもこの言葉からはこれ以外出てこない・・・。ああ、どうしよう・どうしよう・・・・アセルナ〜、タラ〜!まあ一人芝居はこれぐらいにしよう。
合ってるとおもうけど。誰か知ってる人いたら教えてください。


正面の背の高い工場は何の工場でしょうか?かなり離れた場所からでも見えます。


看板どうり小阪製錬所の事務所。結構頻繁に人の出入りがあった。当然か。


ご存知、鉱山の定番施設、シックナーである。わりとキレイなものだった。大きさはそれほどでもなかった。


   これより製錬場の周辺 
下の写真はこのページTOPの写真の突き当たり左周りのコースから撮ったものだ。さすがにこのあたりまで来るとヘルメット姿をよく見かける。それでも工場の規模から見るとやはり少ないように思う。小生が子供時代はこれぐらいの規模の工場だともっとたくさんのヘルメット姿を見かけたものだが。それだけ自動化が進んでいるのだろう。輸入鉱石を製錬してでも製錬の日を絶やしたくない、ということなのか。それにしてもきれいな工場だ。






   これより廃棄物処理場 
なんと規模の大きい処理場だろう。多分元は丘陵地帯か山だったと思うがそこを平らにして写真のように処分場にしているのだろう。下にも書いたがやはり心配なのは環境汚染問題だろう。今の時代にこれだけの大規模での処分場で問題などは出ないのだろうか。





上の6枚の写真も含めて
 いや〜、ものすごい光景ですね。これって全部製錬後(リサイクル後)の産業廃棄物なんでしょうね。あるいは底の方にはかつての鉱山操業時のものもあるのかもしれません。しばらくの間見てる間にもダンプがどんどん入ってきます。でも大丈夫なんでしょうか。公害や地下水汚染などなど。それに粒子の大きさがよく分かりませんが強風になったらどうなるんでしょうか。他の写真でも舞い上がっているように見えますが?


ダンプの姿が見えます。おろした後のようでした。



左側の背の高い建物が一枚目写真正面のデカイ建物です。小阪鉱山のかつての坑口は何処にあるのでしょうか?なんか精錬所の勢いに押されて探すのを忘れてました。手前の平坦地も廃棄物用の敷地なんでしょうね。


   これより’内の袋鉱山’ 
              (現、秋田リサイクル工場)


ココは元”内の袋鉱脈”のあった鉱山である。内の袋坑床は比較的新しく発見された鉱脈で1959年(昭和34年)に発見された。そのおかげで衰退していた小阪鉱山もその後しばらくは活況を呈していたが1990年(平成2年)にはここも鉱脈が枯渇しついに小阪鉱山全山が閉山となってしまった。現在は写真のようにレアメタルのリサイクル工場になっている。


上の写真をちょっと離れた場所から撮った。今時の会社は何処もみんな昔と違って実にキレイである。掃除やら植樹やらガードマンやら本業以外の部分でメンテナンス経費も高くつくことだろう。あんたの知ったことじゃ〜ない、と言われそう。(笑)

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