小坂鉱山 その2(全2ページ) |
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この線路は小阪製錬貨物線のものである。場所は花岡から小阪に向かう中間あたりだった。車両は見えなかった。花岡鉱山操業時は鉱石を満載した列車がここを通り小阪の精錬所まで運ばれた。 |
元小坂鉱山事務所 |
かつて小阪鉱山が華やかかりし頃の鉱山事務所である。当時からルネッサンス風の洋館でリフォームはされているが元々立派な建築物である。建てられたのは1905年(明治38年)で1997年(平成9年)まで約100年間ものあいだ現役の事務所として使用された。ちなみに最後の鉱床である”内の袋鉱床”が閉山されたのは1990年である。現在は採掘は一切せずに全て製錬のみである。もちろんここも今は鉱山事務所としては使われずにレストランやブティックその他観光施設が入っている。 |
昔の看板だ。「合資会社 藤田組 小阪鉱山事務所」とある。Lは遠景。いくら見ても鉱山事務所らしからぬ事務所である。勝手なことを言わせてもらうと僕的にはやはり”鉱山事務所”というと男だけの職場という感じで建物ももっと粗末で石炭ストーブが一台あり煙突からは黒い煙がモクモクと出ている、というようなそんなイメ−ジがありますね。(フル〜!!<笑>)その点ここは立派すぎて・・・ |
入り口はいったところです。こんな感じです。入館料がいるとのことなので入館やめました。 |
鉱山事務所のすぐ隣にある。旧聖園マリア園「天使館」。旧鉱山従業員の子弟の教育機関として設立されたらしい。 |
これは鉱山事務所前にあった(移築前)旧電錬場(現電解工場)のレンガ壁だ。記念に残している。 |
これはかつての小阪鉱山病院の一部だ。これも記念に残している。明治41年の建築物らしい。右は説明板。 |
Lは鉱山労働者の福利厚生施設、”康楽館”である。いわゆる寄席小屋だ。当時の漫才・落語や芝居などをここで催していたらしい。 Rは館前の道路ののぼり。この日は客が入っているのかどうか分からなかった。営業はしているようである。 |
康楽館の横からの写真と料金表と右側は”自働電話”と書いてあった。当時を模しているわけだから当時では珍しい公衆電話の意味なんだろう。それも手でぐるぐる回す必要なく自動で、という意味でしょう。今では当たり前だが。 |
L写真は門鑑(守衛室)。R写真は下に書き直す。 門鑑詰所(平成12年模築) 小阪鉱山内の各現場には門鑑(守衛)の詰所があり出入りする職員や来客を厳重に管理した。かつては藤田組本社のあった大阪から警部経験者などを守衛長に招いたともいわれる。当初の詰所は何処も同じ形で六角形の特徴的な建物だった。〜後略〜 ・・・・出入りする職員や来客を厳重に管理した。・・・・とは・・・。また従業員ではなくわざわざ大阪から警部経験者を呼んだとは当時の鉱山労働の過酷な一部がかいま見えます。 |
小坂町立総合博物館 郷土館 |
これが郷土館。国道282号線の近くで県道2号線に面している。 |
Lが大島高任氏。Mが小阪鉱山の往時の風景。Rが小阪鉱山・元山坑床の露天掘り風景。 |
キャップライトのバッテリー用充電器だ。きれいに保存されている。 |
上の拡大写真。接点は確実に接触するように考えられている。今の機械のようにちょっと触れただけで外れるようなちゃちなつくりではない。 |
小阪で使われていた水力発電機です。これはタービン部分です。アメリカ・GE製だ。 下の「北芝電機」とあるのはシャフトでつながれた発電部分の修理メーカーだ。”1966年6月修理”とある。 |
説明板がなしでした。スラッシャーじゃないですよね。展示というよりもただ置いてあるという感じです。ブルーシートで覆ったものもあり見たとうりシートが破れたものもありでここまで運びこんだはいいけども資金が尽きた、という感じでしょうか。ここもちょっとかわいそうです。 |
往年のSL、というよりもこれぐらいの時代になると蒸気機関車と呼んであげたいですね。正面の”11”のプレートは何でしょうか? |
かつての小坂鉄道の旅客用車両。あまり保存状態は・・・・。維持費がかかるでしょうがちょっとかわいそう。 ここへ来る途中、小坂鉄道車両の操車場に寄って頼み込んで中を見学させてもらったが写真は撮らせてくれなかった。でもDD??のディーゼル機関車のエンジンを現車から降ろした姿を見せてもらった。トルコンミッションがエンジンについたままだった。ただ記憶はあいまいだがエンジンの大きさに比して排気量は意外に小さかったように思う。燃料タンクも意外と小さかったようだ。 |
小坂鉄道の料金表。 花岡まで、二等で1円5銭、三等で60銭。(昭和初期)とある。時代を感じますね〜。 右は金額が高いですが最近でしょうか。秋田まで2430(円)とあります。 |
これが例の黒鉱。金、銀、銅、鉛、亜鉛、重晶石などが含まれている。実に多彩だ。今でこそ全部の金属をきれいに精錬できてまさに宝のような鉱石だが最初の頃は製錬が難しく実にやっかいな代物だった。 |
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