岐阜県飛騨市神岡町  神岡鉱山  Photo:2006.09  1/2   


 神岡鉱山(カミオカ コウザン)の歴史は古く奈良時代の養老年間(西暦720年頃)にはすでに金、銀、銅などの採掘が始まっていたらしい。その後、長い間に権利者がいろいろと変わりながらも採掘は営々と続けられてきた。1589年、越前大野の糸屋彦次郎(大野城主、金森氏の家臣で後の茂住宗貞)が新しい鉱脈を発見。金山奉行として茂住鉱山などを経営。1600年(関が原の合戦)頃には飛騨地方が江戸幕府の天領となり後には同鉱山も幕府直轄となる。その後もいろいろ変遷があり1874年(明治7年)、三井組(後の三井金属鉱業)に経営権がわたる。この頃から積極的に近代化を取り入れいわゆる”トラックレスマイニング法”で採掘を続ける。そのご1986年、神岡鉱業に経営を移譲。2001年閉山となる。
 同鉱山の鉱床はスカルン鉱床で約4億年前の片麻岩からなっている。主な鉱床は「茂住坑(モズミコウ)」「栃洞坑(トチボラコウ)」「跡津坑(アトズコウ)」などで特に栃洞坑、茂住坑は大規模である。ちなみに跡津坑はノーベル賞を受賞した小柴さんで有名な”スーパーカミオカンデになっている。尚、神岡鉱山は日本4大公害の一つ「イタイイタイ病」でも有名である。ちなみにイタイイタイ病(布団をかぶるだけで”痛い”ところからこの名前がついた)は閃亜鉛鉱に含まれるカドミウムの垂れ流しが原因。



                               


 神岡鉱山資料館です。神岡城の隣にあります。ここでチケットを買えば両方入れます。展示物はイマイチでしたね。 鉱山資料館の展示物。失礼ですがちょっと貧弱でした。


 道の駅、”スカイドーム神岡”です。ここにスーパーカミオカンデの模型があります。ここのメリットは車何台で行っても駐車に困らない。なんなら大型トラックで行っても・・・。道の駅だもンネ・・・。  カミオカンデの光増幅菅。本物だったか模型だったか???です。 展示場。


 神岡(鉱山)鉄道の駅です。見たとうり現役の駅です。人の利用も結構あるようです。  駐車スペースがあるので地元の人は車で来て電車に乗っていくのでしょうね。ウラヤマシイ!


 ”GSA”と言うのは「ジオ・スペース・アドベンチャー」の略でスーパーカミオカンデの見学ツアー。毎年夏に一回だけやります。完全予約制。毎年混みます。 神岡鉄道の起動車。DD??、なんだったかちょっと忘れました。


 山の斜面、ふもとにある建屋が茂住坑選鉱所。これからいく所です。  栃洞坑方面を望む。栃洞坑は左側の山のまだかなり向こうです。


 「東京大学宇宙線研究所・神岡宇宙素粒子研究施設」、早い話がスーパーカミオカンデの研究施設です。実際の現場はちよっと離れてます。  ここの研究施設で見た車です。なかなかイキですね。東京都内でもこのプレートをつけたままで走っているのでしょうか。きっと注目されるでしょうね。あるいはこれ付けると税金安くなる?まさかね〜、冗談ですよ。


 研究施設の入り口です。この日はゴミ収集の日でしょうか。  この石に刻んだ看板、なかなかいいですね。この石も鉱山から採掘したものでしょうか。


選鉱所です。。。この山の中が坑道です。  神岡鉱山鉄道の「茂住」駅です。人の利用はあまりないみたいですね。でも現役の駅ですよ。


 「茂住坑」の入り口看板。国道41号線沿いの”茂住駅”のすぐそばです。写真2枚でワンセット、出来は悪いですがパノラマと考えてください。 


 「茂住坑」入り口から後ろを振り返ったところです。下の道路が国道41号線です。トンネル側が富山方向、手前側が高山方向。  少し入った所のよくあるスッポンの養殖場。この後ろに養殖用のシックナーがある。


 この山の地下です。ちなみにここ神岡町は日本アルプスの西のはずれに位置します。日本列島がグ〜ッと逆「く」の字型に曲がるいわゆる”糸魚川・静岡構造線”の西側ですね。鉱脈が大規模なのはそのせいでしょうか。


ついに選鉱所までやってきました。  入り口の鎖が外れていたがどうやら車の出入りがあるみたいである。場内の雰囲気からしてもなんとなくどこかで機械が動いているみたいだ。


 分かりやすい!


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