神岡鉱山   2/2  



 ひっそりとはしているが完全に閉鎖にはなっていないみたいである。もっと奥に行きたかったがちよっと気が引ける部分があってやめることにする。


 茂住坑の上部を撮りました。上の物はベルトコンベアーでしょうか。屋根があるということは雨に濡れると困るものを流していたのでしょうね。  写真の真ん中のものはちよっと見にくいですが坑口です。これが茂住坑本坑かどうかはちよっと不明です。上まで上がればよかったのでしょうが・・・。


 これはクラッシャーでしょうか。スッポン養殖場から選鉱所へ登る途中に置いてありました。偶然見つけたのですがこんな状態で置いてありました。オーバーホールの途中でしょうか。回転部分は結構キレイでした。これならかなり細かく破砕出来るでしょうね。


 ここは茂住坑からちよっと南に下った場所にある精錬所。R41から川をはさんだ対岸側。.神岡亜鉛精錬所?だったか神岡鉱業?精錬所だったか?があった。なんでもここの鉱山からの鉱石ではなく輸入鉱石を精錬しているとか。そのせいか大型トレーラーが結構走っていた。これから栃洞坑へ行くのにややこしい道をそのトラックのドライバーに尋ねた。


栃洞坑に行く途中の標識。ややこしかったです。
(栃洞)方面がそれでした。


 栃洞坑に行くまでの途中にあった沈殿池です。ここで汚泥になった鉱毒物質を乾燥させて残った有害物質を所定の場所に捨てるということらしい。写真には撮ってないがこのはずれにベルトコンベアーで乾燥した物質らしきものをトラックに積み込んでいる光景があった。それにしても相当の規模だ。


 アチャ〜・・・!困りました。引き返すしかないか・・・。別の道を行きます。  ?山四柱神社・・・。それらしきものが見当たらないのですが・・・。


 ここは元幼稚園だったそうです。鉄筋の立派な建物です。長く使われてないにしてはそれほど荒れてなかった。  元幼稚園の前ですがこの向こうがどうやら栃洞本坑らしい。行きたかったが鎖がかかっていてそれとものすごいガスでなんとなく”これ以上はやめた方がいいな〜”と云う雰囲気だったのでUターンする。


 Uターン地点からちよっと下った場所にありました。「神岡鉱業、採鉱課」の看板のトラックが。


 単なる標識。日本油脂さんはこんなところにもあったんですね。 元鉱山住宅。もちろん人は住んでいない。


 ここも元鉱山住宅群。昔の写真を見るともっとたくさんの住宅が建っていた。今ではその殆どが取り壊されている。鉱山最盛期にはここにかなりの人々がお年寄りから小さな子供まである人は鉱山で働き、ある人は家を守り、また子供達は学校へ行きとみんながそれぞれの生活を精一杯生きていたんだな〜と思うとなんとなく彷彿とするものがある。


 これは火の見櫓だったそうです。あまり高さが高くなかったように思うのですがこれで役に立ったのでしょうか。


鉱山辺りを下から見上げた風景です。


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>おしまい<