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  兵庫県朝来郡生野町口銀谷  生野銀山 撮影:2006年6月  (1/3)    
生野銀山は西暦807年に発見されたと伝えられている。本格的に採掘されだしたのは有望な銀鉱脈を発見した1542年頃からといわれている。その後戦国時代にはいり佐渡金山、石見銀山と同様、生野銀山も信長、秀吉、家康などの政権維持の財源となり明治に入ってからはまもなく三菱の経営となる。明治に入ると政府の富国強兵策によりあらゆるエネルギー資源の増産が叫ばれる中、金属鉱山も例外ではなく日本国中の鉱山が活況を呈した。ここ生野銀山も積極的に近代化を進め大正時代までは銀産量が長年に渡って年平均2〜7トンだったものが昭和に入ってからは急に11トンと急増する。しかし戦後は坑床の品位低下と山ハネなどにより1973年(昭和48年)、ついに1200年もの長い歴史を持つ生野銀山も終焉を迎えることになる。ちなみに生野銀山での産出金属はレアメタルも入れるとなんと70種類にもなったと云う。
駐車場入り口のなんとなく重厚な感じのする門? どういう言われがあるのかよく知りません。 入ってすぐの駐車場。この奥が”金香瀬坑”入り口。さすが三菱だ、駐車場も広い!


生野銀山の入り口。バックの建物は”生野代官所”。江戸時代のもの。


「金香瀬坑」の入り口。ここからが唯一の観光坑道だ。昔の狸掘りの跡はこれの写真後ろ側にもある。なかなかおもしろい。 金香瀬坑の銅製扁額。


坑道の中間あたりだったかこんな鉱脈が。真ん中の白く一部が切れた逆三角形の部分が鉱脈の石英だと思うのですが。案内には金(Au)が書かれていないがあまりにも少なかったのかも・・・  


鉱山の断面図。


坑内用2トンバッテリーロコ。は今まさに漏斗のふたを閉めようとしているところか。でもこのへっぴり腰では落下の勢いに勝てる?(笑)  


発破・ダイナマイトの様子。


発破作業の様子。


こんな擬似体験コーナーが。の手前のステンレスの手すりにこのスイッチがあります。押すとド〜ン!と来ます。もちろん観光用だからソフトですが。実際にはこんなもんじゃないでしょうが。


坑内の測量の様子。基本的には今の方法と同じみたいですね。こういう展示物はここが初めてです。


左:光栄竪坑の巻上げ機。坑道の真ん中あたりでしょうか。これで600m(海面下約300m)ぐらいまで垂直に降ります。この下にまだ第二光栄竪坑があり最終的に海面下880mぐらいまで掘っている。ここまで来ると相当地圧が高いのではないのか。連続作業時間も短縮しないと体がもたなかっただろう。
右:巻上機の製造はどうやら石川島造船所(現 株式会社IHI)製のよう。昭和4年(1929)製造とある。


左:光栄竪坑。左側にケージが残っている。これに人や物を載せて運ぶ。
右:坑内採掘の様子。サンドスライム(選鉱後の不要のズリ)を充填しながらそれを足場にして上へ上へと掘り上げていく。


水銀の原石、辰砂(しんしゃ)。古来西日本では奈良県が有名。特に宇陀郡周辺は多い。大和水銀鉱山が有名。今は全て閉山している。大和水銀鉱山も今は別会社の所有地になっている。L写真の説明にある「駒帰(こまがえり)」という場所は大和水銀鉱山の近所でそこにも水銀鉱山があった。
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